穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第X(13)章 三人の妻

2016-08-14 09:29:08 | 反復と忘却

 久しぶりに合った妹達はぎょっとしたような顔をした。今朝マンションを出る時に入り口で出くわしたタヌキおばさんと同じ反応に似ていた。大分久しぶりに顔を合わせたきょうだい達であった。兄達は退職間近で頭髪は白くなり薄くなっていた。その娘や息子達はもう就職したり結婚したりしていた。いもうと達もすっかりおばさん風に変わっていた。その子供達は料理を取り合って騒いでいる。

そういえば、ここへ来る途中電車のなかで悪態をつかれた。車両は入り口付近ばかりが込んでいて、中央はすいている。なかに移動しようとしたが、行商人風のワイシャツ姿のおとこが立ちはだかっていた。その横をすり抜けようとして肩が触れるとその男は「なんだ、この野郎」とニンニク臭い息を吹きかけた。ぎょっとして相手の顔を見ると一応背広姿でサラリーマン風のなりをしているが、人品からはどういう種類の人間か判断しかねた。普通のサラリーマンでないことだけは間違いない。ちょっと職業不詳であった。消費者金融の取り立て人によくある雰囲気を漂わしている。

こんでいる車内を移動しようとして背中がちょっと触れるだけでこんな風にすごまれることはまずない。相手は彼よりも背が高く柔道選手のような体格をしている。こんなやつの相手をしない方がいいと一目見て判断した。そうしたら次の駅でその男はこそこそと逃げ出す様に電車を降りてしまった。そのときに俺の人相はそんなに悪いのかな、目付きがよくないのかな、とちらっと思った三四郎であった。

さて兄の一郎は大学時代ぐれていたころ「三人の母」という小説を書いたが、その原稿を次兄から見せてもらった印象をもとに三四郎自身が分かる範囲で調べたことがある。兄は新しい母に強い反感を持っていて、原稿にもろにそのバイアスが反映している内容であったからそのまま信用するわけにはいかなかったのである。

父の最初の妻はまだ父が出世街道に乗る前に田舎の家がアレンジした結婚で田舎士族の家系ということであった。此れが一郎と次郎の生母であるが、彼らが幼時に肺炎で死亡しているので兄達には印象が薄いようであった。

二番目の妻は父が世間に頭角を現した後で貰った人で東京の富裕な商人の娘であった。父は大変にこの女性が気に入っていたようである。田舎での最初の妻と異なり非常に社交的で遊び好きで、いかにも下町育ちらしい機転の利いた娘であったらしい。田舎者の父とは正反対の性格ではあるが、かえってその辺が父の気に入っていたようである。

富裕な商人の娘ということで実家からの仕送りが潤沢で兄達にしょっちゅう小遣いをやって懐柔していた。この女性は5年ほどの結婚生活の後出産のときに母子ともに死亡してしまった。

三番目の妻が三四郎たちの生母であるが、二番目の妻とは何から何まで正反対であった。母の父は軍人から実業家に転じた人物であった。どちらかというと、士族出の家風が濃厚で自身も軍人であったので、娘の嫁ぎ先にジャンジャン金を注ぎ込むという「はしたない」真似の出来ないひとであった。それが兄達の反感をいっそう強めた。父も前の妻の都会育ちらしい性格にくらべて、気が利かないという不満をもっていた。父自身が大変な田舎者であったので、都会的な、特に商人的な家庭の雰囲気が好きだったのである。

二番目の妻に手なずけられていた兄達は「武士の家庭」風な新しい母親には反感しかもたなかったようである。それに加えて次から次へと再婚する父への反発も加わっていた。

 


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