穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

漱石「明暗」百四十八章まで

2013-11-24 07:21:05 | 書評

いや長い小説だ。小さな活字で651ページ、相当ありますぜ。長いから得をしたと読者に思わせるような小説ではない、残念ながら。そして終わりにこうある、(未完)。

今回初めて読むということもあろうが、漱石のほかのどの小説とも似ていない。内容も文体も。心理スリラーと言えないこともない。家庭小説ともいえる。ただ女が妙な理屈を延々とこねるのをなぞっているのを読むのは苦痛だ。

小説が長くなった原因は、(長くした要素は、と言ってもいいが)、登場人物が多すぎてまとまりがない。新潮文庫の解説者はドストエフスキーのポリフォニーというが全然的外れだろう。単に登場人物が多いだけだ。柿谷氏の解説はBC級だろう。

ただ、ドストエフスキーの名前は出てくる。これには驚いた。登場人物で小林という無産階級を代表するような意見をいう男の口からドストの名前が出てくる。漱石も少しは読んでいたと思われる。

小説を長くしている原因はほかに、ほのめかし、とじらし、の手法を多用していることである。漫漫然とほのめかしとじらしでつないでいくからまとまりを感じさせない。

文学評論史上では漱石を「余裕派」というらしいが、この小説は時代の風潮に漱石が作品を合わせようとしたといえるのではなかろうか。

前にも書いたが漱石の職業が「新聞小説作家」という枠を嵌められていた限界を示しているといえよう。

さて、あと200ページ、心理スリラーかどうか見てみよう。