穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ハイデガーとヘーゲルの講義録2

2012-03-31 15:48:42 | 書評

別にヘーゲルと比較する必要もないのだが、最初に念頭に浮かんだので引き続いて。

あと、際立って異なるのは引用の仕方だね。ハイデガーはいかにも知識の切り売りが命の哲学教師というかんじだ。引用が浮き上がっている。博覧強記ぶりを誇るかの如く、である。彼のは引用していると言うよりかは自分の書いていることに箔をつけるために著名な哲学者の文章をふんだんに盛り込むという臭みが抜けない。引用というより援用という感じだ。

それと、普通引用したら、その文章を批判するなり、解説するなり、問題点を指摘するなりして自分の学説の説明につなげていくのだが、ハイデガーの場合は引用すると役割は終わりなんだね。

それと、頻繁に多数の学者の文章を次から次へと繰り出す。一つ出しておけば十分なのに芸もなく羅列する。多々益々弁ず、というか枯れ木も山の賑わいと言うつもりらしい。

ハイデガーのような書き方は若い時の学位審査論文とか教授資格審査論文には有効だと思う。いくつになってもやっているのはどうかと思う。

この特技のおかげでハイデガーはナチス政権下でマールブルグかどこかの大学総長になったわけだ。

ヘーゲルの著作では逆に引用がしばしば正確でないことが指摘される。しかし、それはヘーゲルがどう受け取ったか、どう記憶して論評しているということだから、瑣瑣たる小事である。論文で一番大切なことは自分の考えを相手に伝えることだからね。