穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

二漱石つれづれ

2011-05-19 09:49:21 | 書評

大逆事件と漱石;幸徳秋水の大逆事件があったのは1910年、その四年ほど前に書かれたのが漱石の異色の作品「野分」と「二百十日」である。

この二作品は政治的パンフレットと思われるもので、へえ、と思った。金持ち、権力者を憎悪して社会を覆さんとしている者たちが主人公だ。彼らが語る主張は月並み、紋切り型だ。漱石が何故こんなものを書いたんだろう。

時代の風潮かな。永井荷風も大逆事件には「ひそかに」ショックを受けているし、この漱石の二作品は荷風の「新任判事」にあたるものか。いずれにしても出来はよくない。

ところで、荷風の新任判事(注)だが、念のために荷風全集を見たらそんなのないね。タイトルの記憶が間違っていたのか。あるいは全集に収録されなかったのか。あとでインターネットで調べてみよう。

さて、漱石の二作品だが全部読んだわけではない。いずれも最初の二十頁、中の十頁、しまいの十頁位読んだだけだ。ま、ここに書いた印象は全部読んでも訂正する必要もないと思う。訂正する必要があれば後でアップする。

あとでも何回か触れるかもしれないが、二作品がでたついでに、漱石の文体について:

漱石の文体(と言うのは語り口ということだが)はいく種類かある。

言文一致体の漱石的こころみ、道草、門などはそうだろう。

寄席的1落語調、坊ちゃん、吾輩は猫である

寄席的2講談調、坊ちゃん(ミックス)、鉱夫、野分、二百十日(政治講談)

狂詩調、吾輩は猫である。(狂詩というのは漢文の狂歌にあたる)

スノビッシュ漢詩風、俳句風、草枕

洋風(これはいたるところにある)、吾輩は猫である

&注:タイトルは新任知事でしたね。それでも現岩波全集にはない。どこの書店か知らないが、かってはどこかの全集に収録されていたようです。若書きで重要な作品ではないが、叔父をモデルにした小説でトラブルがあったようですから、それらの意味で現全集からは除かれているのでしょう。