大逆事件と漱石;幸徳秋水の大逆事件があったのは1910年、その四年ほど前に書かれたのが漱石の異色の作品「野分」と「二百十日」である。
この二作品は政治的パンフレットと思われるもので、へえ、と思った。金持ち、権力者を憎悪して社会を覆さんとしている者たちが主人公だ。彼らが語る主張は月並み、紋切り型だ。漱石が何故こんなものを書いたんだろう。
時代の風潮かな。永井荷風も大逆事件には「ひそかに」ショックを受けているし、この漱石の二作品は荷風の「新任判事」にあたるものか。いずれにしても出来はよくない。
ところで、荷風の新任判事(注)だが、念のために荷風全集を見たらそんなのないね。タイトルの記憶が間違っていたのか。あるいは全集に収録されなかったのか。あとでインターネットで調べてみよう。
さて、漱石の二作品だが全部読んだわけではない。いずれも最初の二十頁、中の十頁、しまいの十頁位読んだだけだ。ま、ここに書いた印象は全部読んでも訂正する必要もないと思う。訂正する必要があれば後でアップする。
あとでも何回か触れるかもしれないが、二作品がでたついでに、漱石の文体について:
漱石の文体(と言うのは語り口ということだが)はいく種類かある。
言文一致体の漱石的こころみ、道草、門などはそうだろう。
寄席的1落語調、坊ちゃん、吾輩は猫である
寄席的2講談調、坊ちゃん(ミックス)、鉱夫、野分、二百十日(政治講談)
狂詩調、吾輩は猫である。(狂詩というのは漢文の狂歌にあたる)
スノビッシュ漢詩風、俳句風、草枕
洋風(これはいたるところにある)、吾輩は猫である
&注:タイトルは新任知事でしたね。それでも現岩波全集にはない。どこの書店か知らないが、かってはどこかの全集に収録されていたようです。若書きで重要な作品ではないが、叔父をモデルにした小説でトラブルがあったようですから、それらの意味で現全集からは除かれているのでしょう。