徒然(トゼン)に耐えかね最近夏目漱石を三冊ほど拾い読みした。恥ずかしながらいずれも初見である。中学生並みの読書経験だね。それで書評ブログを持つなんて大した度胸だとおほめいただいて恐縮。
それに触発されて思い出したことどもも兼ねてしばらくお目目を拝借。まず、門(新潮文庫)。いま73ページまで読んだんだが、これはなかなかのものだね。家に漱石全集があって、例の岩波文庫の表紙になっている布の装丁で総ルビの美本、一冊が一貫目はあった。あれはたしかに初版本だったろうな。
家にはそのほかに鴎外全集(書店はどこだったか)それに子規全集なんてのもあったような気がする。つまり成り上がりの田舎出の知識人の応接間を飾る定番が揃っていたわけだ。
それで、中学時代に読んだのが、吾輩は猫である、坊ちゃん、こころ、三四郎なんてところ。猫と坊ちゃんはたちまち好きになったが、こころと三四郎はだめだったな。いまでいえば、ハーレークイーンものというか、薄い人工甘味料のような読後感だった。その後猫と坊ちゃんは数度読み返したが、あとの二冊は再読していない。いま読めばもっと感心するところがあるのかもしれない。
で、勢い、そのほかの著作は読む気がなくなったのだ。念のために書棚を見る。大正の初版本は無くなっているが、今のおれの書棚にあるのはしょぼい新潮文庫版数冊、すなわち吾輩は猫である、鉱夫、道草、硝子戸の中。最近買ったという三冊は門、野分、二百十日だ。
しょぼいというのは本の値段のことだけで、新潮社の本作りは好きなんで誤解のないように。
つづく