ミハイル・バフチンの主要概念はポリフォニー、イデー、メニッペア(>カニーバル)だろうか。同意出来ない順番に並べてみた。同意出来ないとはいささか思い上がって何処かの参事官みたいだから、理解出来ない(頭が悪くて)とへりくだって書改めよう。
さて、前にも書いた二冊のバフチンの著作をランダム・リーディングしている。頭が悪くてシリアル・リーディングではすぐに行き詰まってしまう。
パッと適当なページを開いて読む。分からなければ10ページほど飛ばして拾い読むわけである。
そこで例証に引用されているドストの小説を理解の助けに再読してみた。「白痴」を読み出した。三読目だ。二読目は二、三年前だが、その時ブログでムイシュキン公爵は形而上学的操作子だと書いた。その考えは変わらない。改めてムイシュキンは主人公ではないな、と思った。
主人公はナスターシャであり、ロゴージンである。準主役はガーニャ。エバンチン将軍の三人の娘のうち、末娘は主役級かな、上の二人は準主役というところだろう。まだ第一編までしか読み返していないから、前回の記憶で書いているところもある。
ムイシュキンという触媒を得て、ナスターシャにしろ、ロゴージンにしろ、彼らのイデーが表現を得る。
最初に読んだのは学生の頃だったが、退屈な小説で早く終わらないかな、といらいらして読んだ記憶がある。これは出版業界が付けた惹句「白痴のように無垢な主人公ムイシュキン公爵の純愛物語り」というピント外れの宣伝に引きずられてそのつもりで読んだから興味が持てなかったのだろうと思う。
さて、前にも書いた二冊のバフチンの著作をランダム・リーディングしている。頭が悪くてシリアル・リーディングではすぐに行き詰まってしまう。
パッと適当なページを開いて読む。分からなければ10ページほど飛ばして拾い読むわけである。
そこで例証に引用されているドストの小説を理解の助けに再読してみた。「白痴」を読み出した。三読目だ。二読目は二、三年前だが、その時ブログでムイシュキン公爵は形而上学的操作子だと書いた。その考えは変わらない。改めてムイシュキンは主人公ではないな、と思った。
主人公はナスターシャであり、ロゴージンである。準主役はガーニャ。エバンチン将軍の三人の娘のうち、末娘は主役級かな、上の二人は準主役というところだろう。まだ第一編までしか読み返していないから、前回の記憶で書いているところもある。
ムイシュキンという触媒を得て、ナスターシャにしろ、ロゴージンにしろ、彼らのイデーが表現を得る。
最初に読んだのは学生の頃だったが、退屈な小説で早く終わらないかな、といらいらして読んだ記憶がある。これは出版業界が付けた惹句「白痴のように無垢な主人公ムイシュキン公爵の純愛物語り」というピント外れの宣伝に引きずられてそのつもりで読んだから興味が持てなかったのだろうと思う。