穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

映画「華麗なるギャツビー」、グレイト・ギャツビーにおけるオールド・スポート

2013-06-20 22:01:43 | 書評
かってこのブログでフィッツジェラルドの小説「グレイト・ギャツビー(以下GG)」のなかにでているオールド・スポートをどう訳するかということで私見を述べた。村上春樹氏が訳書のあとがきで、どうも適当な訳語がないとぼやいていたので、一提案をしたわけだ。

今週から新しい映画化作品が上映されたせいか、このブログのアクセスが増えた。それで今日映画を見てきた。そんな経緯でもなければ映画を見なかっただろうが。映画の字幕でOSが何と訳されているか興味があったわけである。

字幕ではまったく無視する(訳さない)場合と「友よ」があるようだ。「わが友よ」というのもあったかな。英語の台詞では「オールド・スポート」と言っている。小さな声でいっているね。要するにあまり強調したり、アクセントをおいていない。

そして、このOS(オールド・スポート)が頻出するんだね。会話の中で占める比率で言うと、小説よりか多いような気がする。アメリカでも現在はおそらく死語だろうから、まったく台詞から省く手もあっただろうに。つまりシナリオライターや監督はこの原作者の言葉を重視しているのだろう。

字幕の友よ、というのもどうもね。だから字幕作者も気が引けるのか十ぺんに一回くらい、友よ、とやって後は省いて訳さないのだろう。

ちなみに新潮文庫は「親友」だが、会話の中での呼びかけにはどうもね。村上春樹はずばり「オールド・スポート」だ。

私は前のブログで、若者同士が、老成した青年に対してからかい気味に、日本で言うように(現代の青年は言わないだろうが)ご老体とか御大とか大将とかしたらどうだろうか、と提案した訳だ。しかし、一回や二回ならともかく、あれだけ頻出すると、その度にご老体とやっていては異常な感じだろう。

さて、せっかく映画を見たのだから、その作りについても書こうと思ったが今回の記事が長くなったので次回にする。