いわゆる「エディプス・コンプレックス」を母を確保するための父との争いと定義するならドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の長男ドミートリーの父に対する憎悪を世上職業文学者の言うようにエディプス・コンプレックスと解釈出来ないこともない、と小生一歩譲歩。
ただし、老父の執着する女グルーシェニカを実母と錯覚することが必要である。長男はそう短絡したと強引に解釈すればいい。実母は産後間もなく死亡して記憶になく、母が死ぬと父に放置されてよそにやられてしまう。
成年して家に来てみれば父は若い女に血道をあげている。この女を実母と同値して、父と争うというプロットは小説世界では構築しうる。しかし、注意深く「カラマーゾフの兄弟」を読んでも、そういう作者の意図は汲み取れないが。大作家だから読者に簡単に見破られるような隠し味ではないということかな。