ソフォクレスの悲劇「オイデプス」によると、オイデプスは赤ん坊の時に父王から山中かどこかに捨てられる。
オイデプスは命を失わずに成人し、旅行中に実父とは知らずこれと争い殺す。そしてこれも自分の素姓を知らないまま、実の母と結婚する。のちにこの事情が明らかとなり、悲劇が始まる。
ソフォクレスの「オイデプス」の父は子供が将来自分の地位をおびやかすという予言のために、子供の死亡を予想して子供を遺棄する。
カラマーゾフのフョードルは赤子の段階から育児を放棄する。母親が死亡した子供たちは下男に育てられる。
成人した長男のドミートリーは父と金持ちの囲い者になっている女をあらそう。実の母ではないが父と子が同じ女を奪い合うという構造は同じである。
ドストエフスキーがオイデプスを読んでいたかどうかは不明、また、知っていて参考にしたかどうかも不明である。
しかし、構造的にはまったく一致する。はやりの構造主義者じゃないが、ここに勝利の方程式があるみたいだ。
以上はジムクンド・フロイトのいうエディプス・コンプレックスとはまったく関係ないから念のため。