ウィトゲンシュタインの立場から言うと師フレーゲも最大強力なサポーターで彼を世に出したバートランド・ラッセルもウィーン学団もWを理解していない、誤解している。ラッセルには面と向かって何度も宣言している。火かき棒事件のあともWはラッセルに「あなたはいつも私を誤解しているね」と言ったそうである。
時空を異にする第三者である私にはラッセルやウィーン学団のメンバーが誤解していたかどうかは分からない。しかしすでに一世紀を経た現在も多くと哲学教師や学生から相変わらず熱狂的な支持を受けている。それが誤解かどうかは不問に付すとして。一言でこれを表現すれば、大狂気のように漆黒の闇を貫いて天地を二分する稲妻がWと言えようか。あるいはその閃光を受けたものに強烈なハレイションを惹き起こすものと言えようか。
哲学的命題はすべて無意味であるという。ちなみに哲学的命題とは何かの定義はおろか説明もない。無意味であるという証明は論考を通読したところ一例もないから頭の悪い人間にはドグマだけ示されても理解できない。また、彼がいろいろと述べているところから自明的に誰にでも証明できるとも思えない。
推測するところ(根拠はないが)科学的命題のみが正しいというごく常識的な通説のようである。ただし、このことが推測できるのは(6-53)のみである。
6・53:『自然科学の命題以外は、それゆえ哲学と関係ないこと以外は、何も語らぬこと。』
これは単純な話だが、文章としてもおかしいね。「哲学に関係ないこと」は「すべて自然科学の命題」ということになるが、そんなことがあるのかね。
Wは自分のやっていることは『無意味』だという思いにとらわれることが多かったようだ。
人口に膾炙しているのは6-54の
『私を理解する人は、私の命題を通り抜け、その上に立ち、それを乗り越え、それがナンセンスであることに気づく』、、、
『いわば梯子を登り切ったものは梯子を投げ捨てなければならない』
このくだりは有名だが、今度初めて読んだ序にも同じようなことが書いてある。
『本書の価値の第二の側面は、これらの問題の解決によって、いかにわずかなことしか為されなかったも示している点にある』
やれやれ、、、