論理哲学論考(論考)は1918年に完成しその後出版された。Wの思考はその後発展していわゆる後期思想へと移っていったと言われる。しかし、W自身は論考の内容を部分的にも否定していないようだ。また、彼が生前出版したものは(モノグラムはあるのかもしれないが)論考だけである。だから第三者が論考をWの思想として捉えて批判するのは当然である。たとえば第三者は1946年のポパーである。
そして論考とはこれまで僭越ながら小生が述べたように穴の多い、つまり批判の対象になりやすい内容である。もっとも、そういう人物は少数かもしれない。現在でも彼の読者は論考に「うっとりしてしまう」(岩波文庫訳者の解説による)のであるが。
1946年当時Wはすでに学会のビッグネームである。ポパーは売り出し中の新人である。ポパーは論考を対象としてWを挑発する作戦だったと推量する。そうすると、すぐにかっとなりやすいWが興奮して我を忘れたという事件の背景が見えてくる。ポパー自身、事件を回顧して挑戦だったとか、挑発だったとかいう言葉を使っていたと書いているそうである。
以下はポパーがそう言っているということではないが、前回触れた6.53にある「科学的命題」という表現も妙だ。普通そういう言い方はしないだろう。自然科学の探求は科学的命題を作ることではない。自然法則の探求、発見を目的とするものだ。Wが自然科学を珍重するのはいい。しかし、科学とはどういうものか、ということに一言も触れないのはどういうことだ。
自然科学活動の最大の問題は方法論である。自然科学がどういうものであるかを論じなければ6・53のような結論は出せない。また、探求の方法はどうあるべきか、を論じるのが科学哲学であろう。そこにまるで触れないのは科学哲学者のポパーにとっては最大の欠点と見えるだろう。この辺を突かれてWは激高したのではないか。
「科学的命題」(Wの評言を使うなら)の作成は科学活動を先導する場合もあるだろうし、後追いする(つまり研究活動の後始末、整理、お掃除)場合もある。そして実際は後追いになるだろう。先行するというのはドグマに基づいて研究するということだから望ましくないことが多い。
そして「科学的命題」(Wの言葉を使うと)つまり科学法則とは仮説を作るということではないか。新しいデータが観測発見されて仮説が覆がえされない限り、「仮説」は「法則」なのである。大抵の人は専門家でも仮説をドグマと考えているが。
Wには自然科学論がない。概念のないところに適切な表現はない。彼には認識論と科学の方法論に対する思考が欠けている。したがって、6.53は「無意味」である。