穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

三木清とハイデガー

2016-07-24 09:12:41 | 哲学書評

読書とはあちこち飛び跳ねて流れ落ちて行くパチンコの玉のような物である。ある本を読んでいるうちに、関連がある(自分のなかだけで)本に目が向く訳である。先にリクールの『意志的なものと・・・』のことを書いた時に、パスカルのパンセみたいだと書いた。

三木清「パスカルにおける人間の研究」もその印象を確認する意味で読んだ。第一印象は、これをハイデガーによるパンセ・テクストの解釈と言われれば疑わないだろうな、と思った。もし著者名が隠されていたならば、である。

ハイデガーがパスカルのテキストについて講義したとか、あるいは本を書いているかどうか知らない。どこで読んだか忘れたが、一時期彼のデスクの上にドストエフスキーとパスカルの書籍がおいてあったという文章を読んだことがある。

三木清とハイデガーの接点を調べた。三木は1922年ハイデルブルグに留学した。新カント学者のリッケルトのもので学ぶためである。三木は日本ではハイデガーの著書を読んだことがないと書いている。

リッケルトのもとにいたのは一年でマールブルグ大学に赴任したハイデガーの講義を聴くためにマールブルグに移った。師のリッケルトからハイデガーは将来有望な学者と聞いたからと三木は書いているが、その頃からハイデガーはドイツで有望な若手と目されるようになっていたのだろう。

そこで次の釘にぶつかる。大正時代「事件」があった。一高生が大挙して京都大学の哲学科に進学したのである。かって前例のない「事件」であった。一高から東京帝国大学というのがキャリア・パスとして定まっていたころである。京都帝国大学の西田幾多郎教授に憧れて七人の一高卒業生が連袖結裾して京都に奔ったのである。

この事件を私は調べたことがあって、その時にその資料として三木清の「読書と人生」と同じく京都に奔った谷川徹三の「わたしの履歴書」を買ったのである。いずれも本人達がその当時を振り返っている文章がある。

それで三木の「読書と人生」を本棚の奥から引っ張りだして埃を払ったのである。

ハイデガーは三木より8歳年長である。三木の「読書と人生」というエッセーに「ハイデッゲル教授のこと」という短い一文がある。三木はマールブルグに来たばかりのハイデッゲルの仮住まいをたずねていることが書かれている。そのほかにも同じ本の「読書遍歴」という章ではかなり詳しくハイデガーや他の哲学者との交流が書かれている。ハイデガーの助手だったカール・レーヴィットと親しくなったり、ガダマル(ガダマーのことか)から個人教授を受けたという。ちなみにガダマーは三木より三つ若い。レーヴィットとは同い年である。

三木がハイデガーのもとにいたのは一年で翌年にはパリに移っている。その間にハイデガーの手法は完全に身につけていたらしい。そして「パスカルにおける人間の研究」はパリで書かれた。

三木は「読書遍歴」のなかで、『パンセについて考えているうちに、ハイデッゲル教授から習った学問が活きてくるように感じた。』と書いている。ハイデガーの「存在と時間」が世に出たのはそれから二年後のことである。

なお、岩波文庫の「パスカルにおける人間の研究」についての桝田啓三郎氏の解説によれば、このような研究は当時世界で初めてだったそうである。

どうやらタマは落ち着く所におさまったようである。

 

 


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