読了前偶感:根津権現裏
いつ読み終わるか分からないので、読後まとめて書くつもりだったことをいくつか。
? 新潮文庫からの根津権現裏の出版は西村氏にとってよかったか ?
疑問である。西村氏の小説、随筆などによって、彼が長い間文献の収集や考証に非常に熱心であったことは分かる。しかし、藤沢清造論、あるいは根津権現裏論というものを目にしたことがないが、あるのか。ないとしたら極めて不自然であろう。
藤沢清造のどこに惚れたのか、かくまで入れ込むのか。これまでは文献考証だけで実物を見ないから疑問も生じなかったが、かく堂々と?発表されてみると唖然とするし、西村氏の鑑識眼にも一抹の不安を感じざるを得ない。西村氏の芥川賞は何回も書いているように今でも支持している。それだけにこの落差に唖然とする。書く能力と他人の「さくもつ」を評価する能力は別だと言ってしまえばそれまでだが。そういえば、西村氏の車谷長吉論もどうかと思ったが。有る意味で徒党性が強いと言う作家の特性を持っていると言うことかもしれない。
西村氏は私小説作家であると言うことを自ら惹句としている。しかし、書く題材は限られている。藤沢清造との出会いと長い関係を赤裸々にその心理を正直に「私小説」にする事が出来るだろうか。私の仮説では西村氏は藤沢清造の生い立ちや生涯に重大な関心を寄せているのであって、本当に客観的に彼の小説を理解しているか疑問である。どういうことか、これ以上書かないが。あまりにもその生涯に感慨を抱いていて、その作品を客観的に評価する目が曇っているのかもしれない。
+ 文壇ギルド古手推薦の客観性
文献考証でしきりに傍証しようとするのが、当時の文壇人の藤沢に対する評言である。徳田秋声が絶賛したとか、芥川龍之介が新潮社に出版を推薦したとか、島崎藤村がほめたといったたぐいのことである。こまごました考証としてはいいのだろうが、文壇人のギルド協賛的な評価はあまり重きを置くべきではないだろう。相互補助的な色彩が濃い。藤沢も当時は曲がりなりにも文壇ギルドの仲間入りをしていたのであるから、お世辞が多分に入った大御所たちの表現を押しいただく必要もあるまい。