何で弓引くの?と、またまた弓道をする意味とか、意義を追及したいところだが、意味なく今までしていたことを続けたい。そして、不本意な形で体力を奪われ、それでももう一度引いてみたいという気持ちは、よくわかる。
わたしも、去年までそうだったのだから。
理不尽な形で、チャンスが奪われれば挫折するか、自暴自棄になるか、あるいは理不尽な相手を恨むかであるが、そのどれも自分を救わない。
人間にとって最高の業績は、成功することではなく勇気を奮い起こして、不変の運命に立ち向かうことだと、ヴィクトール・フランクは「意味への意志」という書の中で言っている。
将来性がないへたくそ夫婦にも将来はある。おまけに、限りある将来を自覚しながら目指すということは、とんでもなく命がけな勇気かもしれないが。そんな大げさなことではなく、たんたんと引いていたい気持ちもおおいにある。それは、やる気がないと言われるような態度に見えるかもしれない。
何はともあれ、殿がゴム弓を引いた。歩行に杖は必要だが、胴造りには杖はいらない。
ゴム弓って、何だか気持ちいい。名人みたいな会がとれるし。素直な離れが出る。しかし、的がないので満足感に欠ける。的があるとうまくいかない自分を知ることになる。物事は、うまくいかないから挑戦するとき燃えるのだ。つまづいて立ち直れない時があったりするが、つまづくということは前へ出ようとしているということだ。歩かない人はつまづかない。
理不尽な出来事も、もっと強くなるためには、とても大切な階段かもしれない。