まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

要人

2014-08-17 | 暮らし

一家の要(かなめ)は力があるものがなるものだと思う。旦那が力を発揮できない分、わたしが補わなくてはならないが、何しろ小百合だ。床の間に飾っておいてくれるという条件で嫁に来たのに力があるわけがない。実家の父も小さいながら力仕事をして膝を痛め難儀したので「お前は小さいのだから、人の半分の仕事しかしちゃいかん。」と言うようになった。言うようになったということは、わたしの子どものころは、「人に負けるな」と言って育てられたので、最近優しくなったのである。これは手遅れだ。自分に負荷をかける性格はもう染みついている。

なので、小屋の米保管庫から台所の横の精米機まで30キロの米を運ぶのも使命感に燃える。廊下は車付の台に乗せて引っ張ればよいが、玄関の3段の階段が困る。一人で引きずりあげて何とか運んだが、その夜腰が痛くなった。

要人というのは、腰の強い人の事をいうのだと思った。腰という字に「要」が入っているではないか。腰の弱いものは「用心しろ」と言われるだけだ。

 それでも、部屋の模様替えの時、本棚も鏡台もタオルケットを下に引いて動かした。力だけでなく、頭を使えばよいのだ。旦那はそばで「お前はえらい」と、口だけ参加していた。杖を使う身では、仕方がない。

しかし、身体や頭を使って動いていたのは会社へ行っていたころと同じだ。鎮痛消炎剤と書かれた「外用薬」を貼った姿は「腰」という字に似ている。月が外用薬だ。旦那は口だけで人を動かしているので、本当の「要人」はやはりこちらだろう。

どんなに力んでも、痛いときは弱腰だ。