人間にとって快適な感情をもたらす言葉や、表情、態度というのは、生きていくうえで大切なことであるという。子どもを育てるにも、人と付き合うにも、人を指導するにも、愛情、報酬、承認は必要という。その中で「まがいもののストローク」ということが書いてあって、思わず考えてしまった。言葉というものは、時と場合によっては、人を奮い立たせもするし、打ちのめされもする。
人間関係を混乱させるような、歪んだことをいう癖の人がいるということ。「おめでとう。君が書いた本はベストセラー並だね。でも、私から見るといろいろ意見があるんだがね。」という最初は真綿のような言葉で始まり、最後はとげのある言い方で終わる。こういう皮肉のような言い方を、まがいもののストロークというのだそうだ。たぶん、通常の会話の中で、こういう言い方をする人とはあまり付き合いたくないものだ。しかし、好んでどこかでいつも聞いている。
これは、よく弓道の講習会で言われることだ。「まだまだでっせーー。」「褒めるとこなんて全然ありませんがなーー。」「分かってるつもりで、出来てないことばっかですやん。」(大阪弁で言われるわけではない。あまりに打ちのめされるので柔らかく表現した)
たいがいこういう風に言われると、意気消沈して二度と弓なんか引くもんかとなるかといえば違う。みんなそういわれると感激して帰るのだ。変な団体だ。講習会というのは日々の精進をダメ出しくらって、またまた精進に磨きをかけようとする人々の集まりで、意気消沈して帰る人は、「なかなかいいね。」と言われただけで、何の指摘もなかった場合だ。それは無視されたと同様のとらえ方となる。一番怖いのは叱られることより無視されること。なので、講習会で名指しで指摘されると嬉しかったりする。しかし、あまりに同じことを指摘されると、この後、自身で勝手に落ち込むのだ。一体何年こんなことやってて、ちっとも前に進んでいないどころか、山登り中に嵐に遭っているか、谷に落ちて遭難しているような状況だ。
前にもここで手首を曲げちゃいかんって言われたっけ。いつの間にか、別のことに気をつけていたら、基本の基本を疎かにしていたとか。決して大げさではなく、若いころと違って体力との闘いと、萎えてきた精神力とも闘わなくてはいけない。誰のせいでもない、自身の稽古の足らなさ、未熟さを突きつけられるのである。ひたすら、日々精進という武道の道は甘くないということを思い知らされる。
そして、とても悲しいことに、それは一両日中に生活に紛れ、茶碗を洗っている間に、排水溝に流してしまう。「まあ、いっか・・」「あの角見はどうした?」「風呂のシャワーで流しました」となる。これでは、講師の先生はあまりに辛い。もちろん、トップレベルの選手となる人は違う。講師と受講生のどちらに主導権があるかと言えば、口角泡を飛ばして教えても、受ける方がその気でなければ意味がないということだ。
そういう意味では、再伝達講習会で、自分達の道場で教えの伝達をしたときに、講師としての苦労と、受け側のやる気がいかに講師を奮い立たせるかということを学んだ。教えることは学ぶこと。そして、言うのである。「だいたい出来てるけどね--。まだまだやってほしいことありますね。」だれがっ!ふと、足元を見る。