まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

辻まことの表紙画と広告画展

2018-06-24 | 山歩き

山の文化館で、辻まことの広告画と岳人表紙絵の展示をしている。過去に「岳人」の表紙絵を飾り、「秀山荘」の、広告画を描いていた画家である。もちろん何冊か本を出している。広告画は、広告の解説も兼ねているので、今で言うなら「絵の描けるコピーライター」と、いうところか。質素な展示であるが、絵も文章もじわじわと面白い。共感できる文章をじっくり読むと面白い。

 

「岳人」の表紙絵と、表紙の言葉の中で、胸に響く文章がいくつかあった。

「山へ入ってから一日も晴れず、雨ばかりで帰ってくるー・・・着ている者も背中の荷もぐっしょり濡れ、身体のほうもふやけ・・・あたり雨にけむってなんの眺望もなく、1本の細い路をずるずると滑りながら、この雨の中を下った後になって、なにか忘れ難い想いのようななつかしさが残っているのはなぜだろうか。雨は山を覆い、大地を濡らし、樹々を洗う。それは、地下に沁み、くまなく地下の生命の根を養い、やがて清冽な泉となって谷にほとばしる。こうした作用は人についていえるかも知れない。人の心に沁みこんだ雨が、どんな根を洗い、どんな種を育てるかはおそらく当人にも意識されないだろうが、ある晴れた別の日に、 はしなくもそれが証明されることがあるように、私にはおもわれる。」

雨の中を登山し、二度と登りたくないと思う人と、もう一度チャレンジして遥かなる眺望を手に入れようと思う人とに分かれる。

そう、人生も晴れの日ばかりではない。雨の日は歩きたくないが、思いっきり雨に濡れる時がある。避けて通れないその雨の中。いつか晴れる日が来ると思いたいが、最後には別れがきたりする。着実にそのほうに向かっていながら、感じないふりをするときがある。こういう時に、宗教が登場し、悟りを開くことを知る人もいる。

山登りは山岳信仰から始まった所以も分かる気がする。ゆめゆめビールを飲みながら登ってはいけない。