出典
砂川事件最高裁大法廷判決
tamutamu2011.kuronowish.com/sunagawas... より
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法 違反被告事件 昭和34年(あ)七710号 同12月16日大法廷判決. 上告人 東京地方 検察庁検事正 被告人 7名 弁護人 海野普吉 外282名. 主 文. 原判決を破棄する。
2014年4月30日 ... 砂川判決の9条解釈部分で、集団的自衛権議論にも関わりがありそうなところを以下に 引くと ... ここまでの引用をみると、集団的自衛権を認めるための議論に大いに参考に なるように思うが、この判決は米軍駐留の是非について9条を解釈した ...
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砂川事件最高裁大法廷判決
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件
昭和34年(あ)七710号
同12月16日大法廷判決
上告人 東京地方検察庁検事正
被告人 7名
弁護人 海野普吉 外282名
主 文
原判決を破棄する。
本件を東京地方裁判所に差し戻す。
理 由
原判決は要するに、アメリカ合衆国軍隊の駐留が、憲法9条2項前段の戦力を保持しない旨の規定に違反し許すべからざるものであるということを前提として、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約3条に基く行政協定に伴う刑事特別法2条が、憲法31条に違反し無効であるというのである。
1.先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条2項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
2.次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和27年4月28日条約5号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約6条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される2国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあって、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によって認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国60箇国中40数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当っては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。
ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。
3.よって、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその3条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であって、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となってあたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約1条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によって引き起こされたわが国における大規模の内乱および騒じょうを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなっており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。
果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。(なお、行政協定は特に国会の承認を経ていないが、政府は昭和27年2月28日その調印を了し、同年3月上旬頃衆議院外務委員会に行政協定およびその締結の際の議事録を提出し、その後、同委員会および衆議院法務委員会等において、種々質疑応答がなされている。そして行政協定自体につき国会の承認を経べきものであるとの議論もあったが、政府は、行政協定の根拠規定を含む安全保障条約が国会の承認を経ている以上、これと別に特に行政協定につき国会の承認を経る必要はないといい、国会においては、参議院本会議において、昭和27年3月25日に行政協定が憲法73条による条約であるから、同条の規定によって国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決され、また、衆議院本会議において、同年同月26日に行政協定は安全保障条約3条により政府に委任された米軍の配備規律の範囲を越え、その内容は憲法73条による国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決されたのである。しからば、以上の事実に徴し、米軍の配備を規律する条件を規定した行政協定は、既に国会の承認を経た安全保障条約3条の委任の範囲内のものであると認められ、これにつき特に国会の承認を経なかったからといって、違憲無効であるとは認められない。)
しからば、原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤ったものであり、従って、これを前提として本件刑事特別法2条を違憲無効としたことも失当であって、この点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はその他の論旨につき判断するまでもなく、破棄を免かれない。
よって刑訴410条1項本文、405条1号、413条本文に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官田中耕太郎の補足意見は次のとおりである。
私は本判決の主文および理由をともに支持するものであるが、理由を次の2点について補足したい。
1.本判決理由が問題としていない点について述べる。元来本件の法律問題はきわめて単純かつ明瞭である。事案は刑事特別法によって立入を禁止されている施設内に、被告人等が正当の理由なく立ち入ったということだけである。原審裁判所は本件事実に対して単に同法2条を適用するだけで十分であった。しかるに原判決は同法2条を日米安全保障条約によるアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題と関連せしめ、駐留を憲法9条2項に違反するものとし、刑事特別法2条を違憲と判断した。かくして原判決は本件の解決に不必要な問題にまで遡り、論議を無用に紛糾せしめるにいたった。
私は、かりに駐留が違憲であったにしても、刑事特別法2条自体がそれにかかわりなく存在の意義を有し、有効であると考える。つまり駐留が合憲か違憲かについて争いがあるにしても、そしてそれが違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できるところである。
およそある事実が存在する場合に、その事実が違法なものであっても、一応その事実を承認する前提に立って法関係を局部的に処理する法技術的な原則が存在することは、法学上十分肯定し得るところである。違法な事実を将来に向って排除することは別問題として、既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である。それによって、ある事実の違法性の影響が無限に波及することから生ずる不当な結果や法秩序の混乱を回避することができるのである。かような場合は多々存するが、その最も簡単な事例として、たとえ不法に入国した外国人であっても、国内に在留するかぎり、その者の生命、自由、財産等は保障されなければならないことを挙げることができる。いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや。
本件において、もし駐留軍隊が国内に現存するという既定事実を考慮に入れるならば、国際慣行や国際礼譲を援用するまでもなく、この事実に立脚する刑事特別法2条には十分な合理的理由が存在する。原判決のふれているところの、軽犯罪法1条32号や住居侵入罪との法定刑の権衡のごとき、結局立法政策上の問題に帰着する。
要するに、日米安全保障条約にもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題は、本来かような事件の解決の前提問題として判断すべき性質のものではない。この問題と、刑事特別法2条の効力との間には全く関連がない。原判決がそこに関連があるかのように考えて、駐留を違憲とし、従って同法2条を違憲無効なものと判断したことは失当であり、原判決はこの一点だけで以て破棄を免れない。
2.原判決は1に指摘したような誤った論理的過程に従って、アメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性に関連して、憲法9条、自衛、日米安全保障条約、平和主義等の諸重要問題に立ち入った。それ故これらの点に関して本判決理由が当裁判所の見解を示したのは、けだし止むを得ない次第である。私は本判決理由をわが憲法の国際協調主義の観点から若干補足する意味において、以下自分の見解を述べることとする。
およそ国家がその存立のために自衛権をもっていることは、一般に承認されているところである。自衛は国家の最も本源的な任務と機能の一つである。しからば自衛の目的を効果的に達成するために、如何なる方策を講ずべきであろうか。その方策として国家は自国の防衛力の充実を期する以外に、例えば国際連合のような国際的組織体による安全保障、さらに友好諸国との安全保障のための条約の締結等が考え得られる。そして防衛力の規模および充実の程度やいかなる方策を選ぶべきかの判断は、これ一つにその時々の世界情勢その他の事情を考慮に入れた、政府の裁量にかかる純然たる政治的性質の問題である。法的に認め得ることは、国家が国民に対する義務として自衛のために何等かの必要適切な措置を講じ得、かつ講じなければならないという大原則だけである。
さらに一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。
およそ国内的問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である。防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、また履行を強制し得る性質のものでもない。しかしこれは諸国民の間に存在する相互依存、連帯関係の基礎である自然的、世界的な道徳秩序すなわち国際協同体の理念から生ずるものである。このことは憲法前文の国際協調主義の精神からも認め得られる。そして政府がこの精神に副うような措置を講ずることも、政府がその責任を以てする政治的な裁量行為の範囲に属するのである。
本件において問題となっている日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる。本条約の趣旨は憲法9条の平和主義的精神と相容れないものということはできない。同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によって、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために心要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。
いわゆる正当原因による戦争、一国の死活にかかわる、その生命権をおびやかされる場合の正当防衛の性質を有する戦争の合法性は、古来一般的に承認されているところである。そして日米安全保障条約の締結の意図が、「力の空白状態」によってわが国に対する侵略を誘発しないための日本の防衛の必要および、世界全体の平和と不可分である極東の平和と安全の維持の必要に出たものである以上、この条約の結果としてアメリカ合衆国軍隊が国内に駐留しても、同条の規定に反するものとはいえない。従ってその「駐留」が同条2項の戦力の「保持」の概念にふくまれるかどうかはーー我々はふくまれないと解するーーむしろ本質に関係のない事柄に属するのである。もし原判決の論理を是認するならば、アメリカ合衆国軍隊がわが国内に駐留しないで国外に待機している場合でも、戦力の「保持」となり、これを認めるような条約を同様に違憲であるといわざるを得なくなるであろう。
我々は、その解釈について争いが存する憲法9条2項をふくめて、同条全体を、一方前文に宣明されたところの、恒久平和と国際協調の理念からして、他方国際社会の現状ならびに将来の動向を洞察して解釈しなければならない。字句に拘泥しないところの、すなわち立法者が当初持っていた心理的意思でなく、その合理的意思にもとづくところの目的論的解釈方法は、あらゆる法の解釈に共通な原理として一般的に認められているところである。そしてこのことはとくに憲法の解釈に関して強調されなければならない。
憲法9条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによってわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去って普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法9条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。
かような観点に立てば、国家の保有する自衛に必要な力は、その形式的な法的ステータスは格別として、実質的には、自国の防衛とともに、諸国家を包容する国際協同体内の平和と安全の維持の手段たる性格を獲得するにいたる。現在の過渡期において、なお侵略の脅威が全然解消したと認めず、国際協同体内の平和と安全の維持について協同体自体の力のみに依存できないと認める見解があるにしても、これを全然否定することはできない。そうとすれば従来の「力の均衡」を全面的に清算することは現状の下ではできない。しかし将来においてもし平和の確実性が増大するならば、それに従って、力の均衡の必要は漸減し、軍備縮少が漸進的に実現されて行くであろう。しかるときに現在の過渡期において平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は、国際的性格のものに徐々に変質してくるのである。かような性格をもつている力は、憲法9条2項の禁止しているところの戦力とその性質を同じうするものではない。
要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
我々は「国際平和を誠実に希求」するが、その平和は「正義と秩序を基調」とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち「法の支配」と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。
以上の理由からして、私は本判決理由が、アメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断した原判決を、同条項および憲法前文の解釈を誤ったものと認めたことは正当であると考える。
以下略
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)
最高裁判所は、『わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。』これは、今も国際法上の常識で、各々の国家に認められている自衛権です。「個別的自衛権」や「集団的自衛権」とか言う区別もしていません。民主党枝野幸男幹事長の「個別自衛権」を認めたもの代表質問したのは、拡大解釈で疑義が有ります。『憲法9条がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。』と言うのは、アメリカの在日駐留米軍が、憲法9条2項に違反しないと言う最高裁の見解です。日本国の自衛権についての最高裁判所のただ一つの判断と考えても、この判決で集団的自衛権が認められたとする根拠は、どこにも無くこじつけでおかしな判例解釈です。