教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

第52回◆板垣英憲「情報局」勉強会◆なぜ、今、田中角栄ブームなのか~ださい

2016年03月14日 13時36分28秒 | 国際・政治

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」~ニュースにブログ~
第52回◆板垣英憲「情報局」勉強会◆なぜ、今、田中角栄ブームなのか~「小沢一郎総理大臣」誕生の前触れ
2016年03月14日 02時17分36秒 | 政治
なぜ、今、田中角栄ブームなのか
~「小沢一郎総理大臣」誕生の前触れ

【講師】 政治経済評論家・板垣 英憲
【日時】2016年4月9日(土)
  午後13:00~15:50(午後12:30受付開始)
【会 場】 小石川後楽園内「涵徳亭」 (広間)
(東京都文京区後楽1-6-6( TEL 03-3811-3015)
アクセス


【定 員】 38名 
※先着順 定員になり次第締め切らせていただきます
【会 費】 2,000円  (お振込み下さるか、会場にて申し受けさせていただきます)
お申し込み

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相は「自画自賛、戦闘モード」、強気の裏で「何かに怯える」ような「内向きの党大会」に終わる

◆〔特別情報1〕
 自民党は3月13日午前、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で党所属の国会議員や都道府県連の代表ら、およそ3500人が出席して「第83回党大会」を開催した。安倍晋三首相は、7月10日の参院議員選挙(総選挙との同日=ダブル選挙の可能性大、4月24日投開票の総選挙もあり得る)に向けて、「自公VS民共」の対決になると「敵意」を剥き出しにし、「戦闘モード」だった。しかも、かつて自社連立の「村山富市政権」をつくり、自公連立、自自公連立、いまは自公連立を組んでいながら、これを棚に上げて、「選挙のためには何でもする無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と矛盾した自説を強調して、闘争心を煽り立てた。しかし、演説は3年2か月の「結果」を自画自賛、強気に終始して、「放射能汚染」「拉致被害者」「保育所」の言葉はなく、それどころか、「憲法改正」に一言も触れず、国際政治面でも、取り組む目標・指針を何ら示さず、安倍晋三首相が、裏で「何かに怯えている」ような「内向きの党大会」に終わった。

第9回 世界戦争史に学ぶ「現代兵学研究会」
「「三国志」に学ぶ(第2回)~劉備「我、民に裏切られるとも、我、民裏切ら
ず」と 王道を歩ん英雄と軍師・諸葛孔明の覚悟
《日本人シュメール起源説》「天孫人種六千年史の研究」(愛媛県大三島神社
神官・三島淳雄著)~第4回 日本の神社名をシュメール語で読み解く
日時2016年3月19日(土)17時~20時30分



第52回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成28年4月9日 (土)
なぜ、今、田中角栄ブームなのか
~「小沢一郎総理大臣」誕生の前触れ

◆板垣英憲の新刊のご案内◆
『悪の地政学』と『悪の戦争経済』でわかった 日本人が背負う《世界大戦》重大リスク この恐怖のシナリオの狭間でどう生き残るのかNIPPON
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知ったら戦慄する 嘘だらけ世界経済 今この世界を動かしてる《超》秘密
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「奇跡は、『偶然』ではおきない」園児全員を津波から救った保育所長が伝えたこと

2016年03月14日 12時07分14秒 | 東日本大震災
BuzzFeed Japan 3月13日(日)7時0分配信
奇跡は、『偶然』ではおきない」園児全員を津波から救った保育所長が伝えたこと

佐竹悦子さん
それは「奇跡」だったのか?
宮城県沿岸部にある名取市閖上地区。東日本大震災の津波により、住宅地が流出し、当時の住民約6000人のうち、753人が亡くなった。その閖上地区で園児54人全員を避難させ、一人の犠牲者も出さなかった保育所がある。名取市立閖上保育所だ。のちに「閖上の奇跡」と呼ばれるようになったが、当時の所長、佐竹悦子さんは「奇跡は偶然では起きない」と話す。なぜ、閖上保育所は助かったのか。【石戸諭】
佐竹さんは2016年3月11日、東京にいた。杉並区の防災イベントの講演に招かれたためだ。震災から5年を迎えた日に、佐竹さんは教訓を静かに語り始めた。
2011年3月11日。閖上保育所には、この日、1歳~6歳まで54人の園児がいた。
海岸から800メートル、漁港まではわずか260メートル、海抜0メートル。船は身近なもので、海は園児たちの遊び場だった。
午後2時46分、園児たちのお昼寝の時間だった。近くの公民館に外出していた佐竹さんは突然の大きな揺れに「大変だ」と車に乗り込んだが、地面が波打ち、アクセルを踏んでも車が動かなかった。
佐竹さんにとって、この保育所は「新卒」として初めて働いた保育所であり、名取市職員として園長を務めた最後の保育所だった。
「名取市出身なんですけど、浜のほうの言葉はわからなくて、はじめは泣いてばかりいました。それを子供に慰めてもらい、励ましてもらう。そんな保育士でした」
揺れが収まるとともに、急いで保育所に急いだ。もしかしたら、この地震で園が壊れて、子供たちに死者がでたかもしれない。
「津波が来るかもしれないのに、内陸から沿岸部に向かうことはありえないことです。でも、私の職責は所長です。子供と職員を守って、いくらのもの」
園に戻ると、園庭にブルーシートを敷き、パジャマ1枚で子供たちが固まっていた。職員10人も外にいた。
園児と職員の目線は、戻った佐竹さんに一斉に注がれた。「園長先生、どうする?」と言われているように感じた。
午後2時55分、佐竹さんは決断を下し、3つの言葉で指示をした。
1・逃げます
2・車を持ってきてください
3・小学校で会いましょう
避難先は園児も良く行っていた2キロ先の閖上小学校。発達障害がある園児もいる。混乱しないよう、マニュアルで馴染みの場所に避難することを決めていた。職員の車に園児を分散させ、各車に乗れるだけ乗せて、逃げた。
「なにもなかったら、笑って戻ればいい。漁港近くに職員の駐車場があったので、もし戻ってこなかったら……。その時は、私たちは全員ダメ」
待つ間、園児たちと歌を歌いながら待った。
午後3時20分、閖上小東昇降口に全員がたどり着き、3階建て校舎の屋上へ駆け上がった。津波が到達したのは、その32分後、午後3時52分のことだった。
「もはやここまでか」。死を意識した。津波は閖上小にも到達した。車が流れ、人が流れていた。「助けて」という声が聞こえたが、手を伸ばしても届かない。
その日、名取市は雪が降っていた。3月の雪は珍しい。屋上にパジャマ1枚の子供たち。ここで風邪から肺炎になったりしたら…。
津波の流れをみていると、3階までは届かなそうだ。屋上にとどまるか、3階に戻るか。命を預かる決断を何度も迫られた。
寒さに凍える園児の姿をみて、佐竹さんは3階に戻した。
佐竹さんが懸念した事態は起きなかったが、別の危機が迫っていた。
午後4時10分ごろ、プロパンガスの爆発でそこらじゅうで火災が起きた。火の手が四方から迫る。
死を覚悟したのは、この日4度目。わずか1時間20分のあいだに4度だ。
それでも園児たちに不安を与えてはいけない。
危機の中、職員たちは視聴覚室で園児を円にし、平常時と同じように一緒に歌を歌い、お絵描きをした。
「思い返したときに、辛い思い出だけが残らないように心がけたのです」
午後6時、あたりは闇につつまれ、自衛隊、報道のヘリコプターの音だけが響いていた。その頃、子供の口から「もっとも聞いてほしくない質問」が増えてきた。
「ママは?」
「必ず来るよ」
と声をかけた。閖上小学校にたどり着き、保護者に受け渡すことができた子供たちもいたが、残る子供も当然ながらいた。
午後8時にはカーテンを外して、床に敷き子供たちを寝かした。「もう遅いから寝ようか」
寒く、辛い一晩だった。この夜、子供たちは誰一人、泣くことはなかった。
朝は普通にやってくる。朝日はきれいに上がった。やっと到着した避難用のバスに乗り込み、7キロ内陸の小学校の体育館へ移動した。途中、ショッピングモールの近くに津波で流された船があった。
「所長先生、お船も遊びにきたの」
「そうだね、お船もスーパーを見てみたかったのかもね」
見せたくない光景だと思いながら、そんな会話も交わした。
4日後、やっと最後の一人を引き渡すことができた。
佐竹さんは誰一人、子供の死者を出さずに「所長先生」の業務を完遂した。津波で、保育所は流出していた。がれきの中、子供が大好きだったプールだけは確認できた。
3月27日には、避難所で退所式を開いた。子供たちに「津波のせいでできなかった」と思ってほしくなかった。津波はきても、これからの人生にできないことはない。小さいけれど、そんな思いを込めた式だった。
迅速な避難で、一人の死者も出さなかった保育所。この出来事は「名取市の奇跡」と呼ばれることになる。」

危険で困難な状況の中で、的確で迅速な判断が子供たちの命を救ったと言うことです。


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無人運転電車に新たな運転士誕生 初の女性も 横浜シーサイドライン

2016年03月14日 11時25分27秒 | 横浜シーサイドライン
無人運転電車に新たな運転士誕生 初の女性も 横浜シーサイドライン
乗りものニュース 3月14日(月)10時0分配信

新たに誕生した女性運転士と、普段はカバーに覆われている運転台(写真上出典:横浜シーサイドライン、写真下:2007年3月、恵 知仁撮影)。
先頭部分にある“謎の箱”で

 横浜の臨海部、新杉田~金沢八景間を無人の自動運転で走る新交通システムの横浜シーサイドラインは2016年3月10日(木)、新たに3人が国交省による「動力車操縦者技能試験」に合格したと発表しました。
/タモリ氏も乗車 鶴見線の何が鉄道ファンの心をつかむのか
これは簡単にいえば、3人が免許を取得して電車の運転士になった、ということです。しかし横浜シーサイドラインは、先述のように運転士なしの自動運転。にもかかわらず、なぜ運転士がいるのでしょうか。
その理由は、異常気象や車両故障などに備えるため。自動運転では対応できない事態を想定し、運転士を養成しているのです。またしばしば訓練のため、自動ではなく運転士による走行が実施されます。
同様に、東京の臨海部を走る「ゆりかもめ」などの新交通システムにも、普段は乗務していませんが運転士がいます。こうした自動運転の新交通システムに乗車した際、先頭にカバーの掛けられた箱状のものを見ることがありますが、その内部にあるのは有人運転用の運転台です。
ちなみに今回、横浜シーサイドラインで運転士になった3人のうち2人は、同社で初めての女性運転士とのこと。ふたりは「シーサイドライン初の女性運転士ということでプレッシャーを感じていますが、日々、自己研鑽に励み、安全・安心・安定輸送に努めます」「頼りにされる運転士になるため、異常時に的確・迅速に対応できるよう、日々、勉強・努力を重ねます」と抱負を語っています。恵 知仁(鉄道ライター)

全国的にこれから女性運転手が、増加するかも分かりませんね。

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