(朝日新聞) 06:56
『同じ柔道部に所属していた同級生から約1年半にわたって、いじめを受け、うつ状態や心的外傷後ストレス障害(PTSD)になったとして、福島県内の私立高校に通う元柔道部の男子生徒(3年)が同級生の男子生徒3人に対し、慰謝料などの損害賠償を求める訴えを福島地裁に起こしたことが分かった。
提訴は8月16日付。訴状などによると、生徒と同級生3人は2014年、柔道部の特待生として入学。しかし、生徒は入学間もない4月から、めがねを壊されるなど嫌がらせを受け始め、柔道部の練習後に顧問や上級生のいないところで平手打ちを‘され`るなど、暴行を受けるようになった。
また、通信アプリ「LINE」を通じて「奴隷くん」と中傷され、指定のアプリをダウンロードするように指示されたり、「死ね」「ころすよ」などのメッセージを繰り返し送られたりしたという。
訴状では、いじめが学校内だけでなく、LINEなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて、学校外でも行われた点を指摘し、「原告は気が休まる時間もなくその精神的苦痛は甚大」と主張している。
生徒は昨年12月に柔道部を退部。学校は生徒の親からの訴えで、同級生3人の行為を知り、いじめと認定したうえで、今年1月、3人を家庭謹慎処分とした。
朝日新聞の取材に対し、学校の校長は「いじめに気づかず、このようなことを起こしてしまい、大変申し訳ない」と話した。同級生の代理人の1人は「裁判中なのでコメントできない」としている。』
嘉納治五郎先生の柔道の精神を忘れいるのでは有りませんか。同級生をいじめるために柔道部が、あるのではありません。
柔道と礼、その精神 | 講道館
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嘉納治五郎師範の教え
柔道と礼、その精神
道場における柔道は、相手があってこそ学ぶことができ、また試合をすることが出来ます。ですから、相手となる人には、特に礼をつくすべきでしょう。
試合に出場し、また応援する際に、勝ちたい一心の邪念のとりこになり、相手がケガをしようと構わないからと無茶な動作に走ったり、相手を罵倒したりすることは、もっとも慎むべきことです。
武道は、荒々しい技や動作の攻撃が主になることから、奥にある礼や和の精神がなおざりにされて粗暴なだけの争いにならないように、「武道の稽古は礼に始まり礼に終わる」と礼の精神が強調されてきました。
今日の柔道においても同じで、強ければ強いほど礼の精神を保ち、他を活かす自他共栄の心情・態度でいなければなりません。
上の人から自分にされて嫌だったことは、下の人に対してしてはいけません。前の人からされて不愉快だったことは、後ろの人にしてはいけません。しかし、人は自分が他人からされて、はじめて何が人に不快感を与えるか分かる場合が多いことも事実です。
柔道を学ぶ私たちは、自分の行動が他人に迷惑や不快感をあたえないかどうか、十分に考え、推し量って行動すべきでしょう。柔道を通して私たちが学ぶ礼の精神の根本には、相手の人格を尊重し迷惑をかけない心掛けがあるはずだからです。
礼儀として、目上の人に対する礼、同輩への礼、目下の人に対する礼などがあります。しかし今日、私たちが最も考えなければならない礼は、直接見えない人びとに対する礼、いわば公徳心・公共心に対する礼でしょう。
現代社会において、礼の精神に欠ける行動を見聞きすることが増えましたが、柔道の修行者は、他の人びと以上に、道場で礼の根本的な心情や態度を養っているといえます。ですから、実生活においても、少しでも礼に欠けることなく、礼の精神を持ち続け、社会の規範になってほしいと願います。
参考:『日本の武道柔道』老松信一