教育カウンセラーの独り言

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多くの人が間違っている「人生の終わり方」…終活で「幸せになる人」と「不幸になる人」の決定的な違い

2024年10月10日 04時39分13秒 | 悩み

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多くの人が間違っている「人生の終わり方」…終活で「幸せになる人」と「不幸になる人」の決定的な違い
2024年10月9日 6時0分 現代ビジネス


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多くの人が間違っている「人生の終わり方」…終活で「幸せになる人」と「不幸になる人」の決定的な違い
写真伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎


元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

終活はしなくていい
近年、地方自治体では、高齢者を対象とした「終活講座」のたぐいがよく行われていると聞きました。


終活とは、人生の終わりが近くなっていることを見越して持ち物を整理したり、死後、家族に迷惑をかけないように遺言状を作ったり、お墓の準備をしたりすることだそうです。自治体の「終活講座」で取り上げられるのも、相続税や贈与税のしくみ、遺言状の書き方、葬儀・お墓・家財整理などに関することが多いといいます。つまり、これらのテーマが高齢者の大きな関心事になっている、ということでしょう。

私自身は、名古屋にある丹羽家代々の墓には入らず、夫婦二人で墓に入るつもりで、ワイフと一緒に永代供養墓の契約をしました。自宅からわりと近くて子供たちが行きやすいところを選びました。

永代供養墓の契約と書籍と仕事関係の資料の処分をした程度で、ほかに終活らしきことはしていません。もともと、本以外のモノはそうたくさん持っているわけでもなく、私が死ねば全部まとめて捨ててくれればいいだけのことです。

コロナ禍以降、葬儀を簡素化する家庭が増え、葬儀をせずに荼毘に付す「直葬」というケースも少なくないといいます。埋葬も、寺院や民間企業が運営する「お墓マンション」のような施設への納骨、樹木葬、散骨など、さまざまなスタイルがあるようです。

そうした選択肢から自分の望む葬儀や埋葬のスタイル、戒名まで決めて準備をしておく人もいるそうですが、私にはそういう希望も特にありません。葬式は、私が生前お世話になった人を呼んで普通にやってくれれば、それでいい。戒名も、家族が私らしいなと思うものをつけてくれれば、それでいいと思っています。

終活は一種のブームになっているようです。その背景には、以前に比べて、人に面倒をかけることに対する社会の許容度が小さくなり、世間の目が必要以上に厳しくなってきていることも影響しているのかもしれません。

もちろん、人に面倒をかけないに越したことはありませんが、人間である限り、誰かに面倒をかけてしまうのは、ある程度しかたのないことです。残された者にとって、遺品の片付けはたしかに面倒でしょうし、葬式の準備や執行には各方面への気遣いも要るでしょうが、人が亡くなるというのは、そういうものなのです。

自分が死んだあと家族の手を煩わせたくない、との気持ちから終活をするのは悪いことではありませんが、死後の始末に罪悪感を覚える必要はないと思います。

人の価値は最後に決まる
人間というのは、勝ち負けにこだわる生き物です。競争社会で生きていくうちに、自分自身の勉強や仕事の成績、果ては子や孫の入学先や就職先まで、周囲に勝つことに意義があると信じ込んでしまう人は、少なくありません。自分や他人の人生を、収入や社会的地位から「勝ち組」「負け組」に分けて考えるような価値観も、根強く存在しています。

しかし、人間の本当の幸福は、仕事でうまくいくとか、金持ちになるとかの物差しだけで測れるものではありません。

俺は一流大学を卒業し、一流企業に就職して出世し、お金をたくさん稼いで、家族にさんざん贅沢をさせてやった。どうだ、偉いだろう。俺は勝ち組だぞ。ワハハ--と笑いながらあの世へ旅立つ。それだけの人生では、あまりにも寂しいですね。

人間にとって本当の幸福は、人生の最後に心安らかでいられることだと私は思います。死ぬ間際に、家族や友人に「ありがとう」と感謝し、「失敗もいろいろしたけれど、人を裏切ったり、傷つけたりすることはなかった。自分の人生は幸せだったな」と清々しい気持ちになれるなら、最高の人生を送ったと言えるのではないでしょうか。

たとえ仕事がうまくいかなかったとしても、金銭的に豊かではなかったとしても、人として過ちを犯すことなく生き、「ああ、よかった」と、安堵の一息を遺して旅立てる人こそが、人生の真の勝利者だと思います。私もそうやって人生を終えたい。人間として誠実に生きることができたと思えれば、最高です。

いつか迎える最期のとき、私たちの死に顔が、それぞれの幸不幸を語ってくれることでしょう。“人”の価値は、最後の最後に決まるのです。


現代ビジネス

 

 

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