■「ロング・グッドバイ/The Long Goodbye」(1973年・アメリカ)
●1973年全米批評家協会賞 撮影賞
監督=ロバート・アルトマン
主演=エリオット・グールード ニーナ・ヴァン・パラント スターリング・ヘイドン ジム・バウトン
レイモンド・チャンドラーの小説に登場する私立探偵フィリップ・マーロウ。その魅力にドキッとしたのは中学生の頃(なんておマセな!)。テレビの映画番組で観た映画「さらば愛しき女よ」がきっかけだった。ロバート・ミッチャムが演じる寡黙なマーロウ、謎の女シャーロット・ランプリング。粋な台詞のカッコよさにシビれて、原作に手を出したニキビ面の中坊。しかし文庫本の厚さにビビって当時手を出さなかったのが、実は「長いお別れ」。この映画「ロング・グッドバイ」の原作である。最近、戦後すぐの日本に翻案したドラマが製作されたせいか、BSの映画番組で「ロング・グッドバイ」が放送された。あー、やっとこの映画を観られたよ。
松田優作がこの映画に惚れてあのドラマ「探偵物語」が生まれたという逸話もあるが、今観るとそれも納得できる。だらしなさそうで、本当に頼れるのか不安に思える映画やドラマで見る私立探偵のイメージ。それでも生き方や仕事のやり方に貫く美学をもっているカッコよさ。エリオット・グールードのマーロウはまさにそれだ。映画冒頭、猫がお気に入りのカレー印のキャットフードで猫一匹に翻弄される姿はなんともおかしくて、彼の人の良さがにじみ出ているように思う。だが、この後ストーリーが進むにつれて、厄介な事に巻き込まれて損な役割を背負い込むことになる私立探偵という仕事をもここでイメージを植え付けているようにも思える。実に巧みな導入部分。そしてマーロウは友人テリー・レノックスの国外逃亡を手助けしたと疑われてしまう。テリーが死亡したと知らされ、さらにその隣人の失踪が関係し、テリーが持っていた金銭を巡ってギャングにも絡まれる始末。マーロウは事件の渦中に堕ちていく。私立探偵ってやっぱり損な役回り。
この映画、事件の真相にたどり着くストーリーではあるけれど、決してこれはスカッとする謎解きではない。マーロウを中心とした探偵映画というよりも、他のアルトマン作品にも共通する"変な人たちの群像劇"として観るのが実は正しいのだろうか。失踪した作家ロジャーの豪快なキャラクター、ギャング団のおかしなボス(監督として活躍しているマーク・ライデルが演じている)、ビーチ沿いの高級住宅街に住む人々の奇妙な暮らしぶり、変に口答えするスーパーの店員、マーロウの隣人である半裸のドラッグお姉ちゃんたち。そして事件の発端である友人テリー。世の中は理解できないヤツばかり。そんな人々の間を、マーロウは口癖の「いいけどね(It's ok with me)」を繰り返しながら渡り歩いていく。ハンフリー・ボガートやロバート・ミッチャムが演じたトレンチコートが似合うカッコいいマーロウ像とは違うその姿は原作ファンの不評を買ったそうだ。しかし、ダメ男なマーロウに銀幕のこちらの僕らは、いつしか自分を重ねている。かくいう僕もそうだ。近頃雑用や周囲の人々に翻弄されているとボヤいてしまいそうな時期に鑑賞したせいかもしれない。でもそののらりくらりとした私立探偵像は、後の映画やドラマに大きな影響を与えている。一風変わった映画ではあるけれど、多くの人に愛されているのはそれが理由ではないだろか。
ジャズボーカルが切なく響く主題曲がアレンジを変えて随所で使われる。切ないメロディーが心に残り、映画が終わった後もあの曲に浸りたいと思えた。これが「スターウォーズ」のジョン・ウィリアムズの仕事というのも興味深い。ヴィルモス・ジグモントのカメラがまた素晴らしい。ロングショットで様々なことを語り尽くす構図と、光線の美しさ。無言ですれ違うラストシーンがなんて雄弁なのだろう。往年の映画スタアの物真似をするおじさんも含め、この映画は様々な顔の魅力があり、それが愛される映画である理由なのだろう。