◼️「はなればなれに/Bande à part」(1962年・フランス)
監督=ジャン・リュック・ゴダール
主演=サミー・フレイ アンナ・カリーナ クロード・ブラッスール
以前から観たかった「はなればなれに」。ゴダール監督作としての興味、アンナ・カリーナ目当てはもちろん。さらにクェンティン・タランティーノのお気に入り映画で自分の会社名を本作のタイトルにしたこと、ベルトリッチが引用したことなど、この映画が影響を及ぼしたという周辺知識が、さらに興味をそそったのだ。配信が始まったので、優先順位に割り込みっ。
ちょっと期待が高すぎたのかもしれない。エンドマークの「FIN」を眺めながら思った。そもそもゴダールなんだから、そう簡単に受け入れられる映画のはずがないじゃない。冷静になればそうだよな。好きな場面とそうでないことが心の中でとっ散らかっている。
オープニング好き。タイトルやクレジットの表示も変なこだわり。ミシェル・ルグランに"最後の映画音楽"みたいな表記。実際ゴダールと組むのはこれが最後になったと聞く。「勝手にしやがれ」みたいに音楽をズタズタにするんじゃないよな?💢といきなり不安になる。
ガールフレンドであるオディールの家に隠されている大金を盗み出そうという計画を、セーヌ川河畔で車を走らせながら話し合うフランツとアルチュール。「無理だよぉ」と言うオディールだが、ちょっとワイルドなアルチュールに惹かれたのか、無謀な計画を受け入れてしまう。3人がプランを話し合う場面、席を取っ替え引っ替えして落ち着かない。役者の顔をちゃんと撮るため?さらに「1分間の沈黙は長い。やってみるか」と言い出して、実際に映画も無音になる。奔放なゴダールのお遊びなんだろうけど、無駄にしか思えない。
されどここで登場するのが、噂に聞いたマジソンダンスの場面。フランツの帽子を被ったオディールを真ん中に3人が並んで踊る。なんだこの楽しさ、一緒に踊り出したくなる。ナレーションが途中で何度も挟まり、その度にルグランの華麗なジャズが切り取られる。ゴダールまたやりやがったな💢。しかし、映画全体では劇伴が綺麗に使われていて好印象。
ルーヴル美術館を疾走する場面。ゲリラ撮影だったらしい。申し訳ないがちっともいいと思えなかった。これが自由?いやいや迷惑千万だろ。そこから先の犯罪シーンも無鉄砲な行動に結局イライラしてしまった。いい歳こいた自分は、危うい若者の行動を映画で楽しめなくなってるのかも。それでも割と映画の印象がいいのは、セーヌ川周辺の風景が楽しかったから。パリ五輪開会式でじっくり見たばかりだったし。それでも幕切れの先を匂わすエンディングは嫌いではないかな。
ちょっと期待が高すぎたのかもしれない。エンドマークの「FIN」を眺めながら思った。そもそもゴダールなんだから、そう簡単に受け入れられる映画のはずがないじゃない。冷静になればそうだよな。好きな場面とそうでないことが心の中でとっ散らかっている。
オープニング好き。タイトルやクレジットの表示も変なこだわり。ミシェル・ルグランに"最後の映画音楽"みたいな表記。実際ゴダールと組むのはこれが最後になったと聞く。「勝手にしやがれ」みたいに音楽をズタズタにするんじゃないよな?💢といきなり不安になる。
ガールフレンドであるオディールの家に隠されている大金を盗み出そうという計画を、セーヌ川河畔で車を走らせながら話し合うフランツとアルチュール。「無理だよぉ」と言うオディールだが、ちょっとワイルドなアルチュールに惹かれたのか、無謀な計画を受け入れてしまう。3人がプランを話し合う場面、席を取っ替え引っ替えして落ち着かない。役者の顔をちゃんと撮るため?さらに「1分間の沈黙は長い。やってみるか」と言い出して、実際に映画も無音になる。奔放なゴダールのお遊びなんだろうけど、無駄にしか思えない。
されどここで登場するのが、噂に聞いたマジソンダンスの場面。フランツの帽子を被ったオディールを真ん中に3人が並んで踊る。なんだこの楽しさ、一緒に踊り出したくなる。ナレーションが途中で何度も挟まり、その度にルグランの華麗なジャズが切り取られる。ゴダールまたやりやがったな💢。しかし、映画全体では劇伴が綺麗に使われていて好印象。
ルーヴル美術館を疾走する場面。ゲリラ撮影だったらしい。申し訳ないがちっともいいと思えなかった。これが自由?いやいや迷惑千万だろ。そこから先の犯罪シーンも無鉄砲な行動に結局イライラしてしまった。いい歳こいた自分は、危うい若者の行動を映画で楽しめなくなってるのかも。それでも割と映画の印象がいいのは、セーヌ川周辺の風景が楽しかったから。パリ五輪開会式でじっくり見たばかりだったし。それでも幕切れの先を匂わすエンディングは嫌いではないかな。
しかし、アンナ・カリーナはポップでキュート。
ピーコートとチェックのスカート、ストッキング、ヒールの低い靴というファッションは今観てもカッコいい。ゴダールの映画の彼女は、どこまでも自由な生き方(新しい世界、既存の表現に縛られない)の扉を開いてくれた。この映画もそう。
1960年代のパリの風景の中、男2人を振り回す無垢な女性アンナ・カリーナの輝くような魅力がたっぷり、という作品だったような。
ですよねー、アンナ・カリーナの魅力に心もっていかれます。思えば「勝手にしやがれ」にハマれずゴダール拒否反応を起こしていたのを、緩和してくれたのはアンナ出演作でした。「女と男のいる鋪道」と「気狂いピエロ」は繰り返し観てるし。ゲンスブールが音楽担当して共演した「アンナ」が観たいですっ。