◾️「ショック療法/Traitement de choc」(1973年・フランス)
監督=アラン・ジェシュア
主演=アラン・ドロン アニー・ジラルド ミシェル・デュシューショワ
小学生低学年の頃だったか。親に親戚の家に連れて行かれて、大人たちが話し込んでいる間、テレビがつけられた部屋で待つことがよくあった。そんな日に限ってトラウマ級に記憶に刻まれる番組が放送されていることがあって、何じゃこりゃ😰と思いながらも見入ってしまったものだ。(「何がジェーンに起こったか?」のレビューも見てね)。
ある日、遅い時間になっても大人たちの話が長引いて帰る気配がない。なんちゃら洋画劇場が始まる時間帯に。その夜の作品は「アラン・ドロンのショック療法」。怖いやつなのかな…。少年はとりあえず観ることにした。
都会から離れた海辺にある病院。失恋の痛みを癒すためにヒロインがゲイの友人とやって来る。そこは若返りの治療が施される施設で、セレブたちが滞在して治療を受けていた。
少年の心に強烈な印象を残したのは、映画前半、海草が敷き詰められたサウナの場面。テレビ画面の端から端まで横たわる男女の裸、裸、裸。そのシーンに流れていたウクレレめいた音色の劇伴まで記憶に刻まれた。
なんかすごいもの見ちゃったな😨
と思っていたら、突然男性の一人が「海へ行こう!」と叫ぶのね。「裸で?」と聞く女性にみんなが当然!という顔をして、裸の男女の群れは海へと走り出す。水しぶきがあがり、テレビ画面には不自然な雲のような汚れが見えたり消えたり。え?何これ?初めて観たボカシはこれだった。
そこにやって来たのが、アラン・ドロン演ずるデブリエ院長。彼も服を脱ぎ捨てて海へと向かう。画面の汚れ(ボカシ)が増殖。
おっ、大人ってこんなことするのか!😫
少年の心にとんでもない誤解を植え付けた。そこから病院内で不可解な死が続き…と怖くなったところで、親が「帰るぞー」と戻って来たので、その先を知らないまま。
そして数年後、大学生になった少年は地上波の深夜枠で再び「ショック療法」を観ることになる。
デブリエ院長、あんたって人は…!😰
小学生の頃に全編観なくてよかった。初めてのアラン・ドロン映画がこれだったら(いや、事実上本作なのだが💧)、とんでもない先入観を持つことになっていたろう。榊原郁恵のヒット曲「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を聴いても怖い奴の歌だと信じて笑えなかったかもしれないw。それだけファーストインプレッションは大事ってことなのだ。ちなみにちゃんと観た初めてのアラン・ドロン映画は「ブーメランのように」です。
ある日、遅い時間になっても大人たちの話が長引いて帰る気配がない。なんちゃら洋画劇場が始まる時間帯に。その夜の作品は「アラン・ドロンのショック療法」。怖いやつなのかな…。少年はとりあえず観ることにした。
都会から離れた海辺にある病院。失恋の痛みを癒すためにヒロインがゲイの友人とやって来る。そこは若返りの治療が施される施設で、セレブたちが滞在して治療を受けていた。
少年の心に強烈な印象を残したのは、映画前半、海草が敷き詰められたサウナの場面。テレビ画面の端から端まで横たわる男女の裸、裸、裸。そのシーンに流れていたウクレレめいた音色の劇伴まで記憶に刻まれた。
なんかすごいもの見ちゃったな😨
と思っていたら、突然男性の一人が「海へ行こう!」と叫ぶのね。「裸で?」と聞く女性にみんなが当然!という顔をして、裸の男女の群れは海へと走り出す。水しぶきがあがり、テレビ画面には不自然な雲のような汚れが見えたり消えたり。え?何これ?初めて観たボカシはこれだった。
そこにやって来たのが、アラン・ドロン演ずるデブリエ院長。彼も服を脱ぎ捨てて海へと向かう。画面の汚れ(ボカシ)が増殖。
おっ、大人ってこんなことするのか!😫
少年の心にとんでもない誤解を植え付けた。そこから病院内で不可解な死が続き…と怖くなったところで、親が「帰るぞー」と戻って来たので、その先を知らないまま。
そして数年後、大学生になった少年は地上波の深夜枠で再び「ショック療法」を観ることになる。
デブリエ院長、あんたって人は…!😰
小学生の頃に全編観なくてよかった。初めてのアラン・ドロン映画がこれだったら(いや、事実上本作なのだが💧)、とんでもない先入観を持つことになっていたろう。榊原郁恵のヒット曲「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を聴いても怖い奴の歌だと信じて笑えなかったかもしれないw。それだけファーストインプレッションは大事ってことなのだ。ちなみにちゃんと観た初めてのアラン・ドロン映画は「ブーメランのように」です。