◾️「グッバイ・ゴダール//Le Redoutable」(2017年・フランス)
監督=ミシェル・アザナヴィシウス
主演=ルイ・ガレル ステイシー・マーチン ベレニス・ベジョ ミシャ・レスコー
ジャン・リュック・ゴダール監督の「中国女」主演女優で妻でもあったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝を映画化。「アーティスト」でハリウッドクラシックに敬意を表したアザナヴィシウス監督だけに、ヌーベルヴァーグをどう料理するのか興味があって鑑賞。
アンヌの眼から見たゴダール像。しかもフランスは五月革命真っ最中で、思いっきり政治に傾倒していた時期のゴダールだけに、やたら偏屈でめんどくさい人物に描かれている。ただ五月革命の頃って、革命派か反革命派かいずれを支持するのか、国家を二分する論争となり、市民も二者択一を迫られているような時代だったと聞く。ただでさえ政治や主義、哲学について持論をもつ彼が、暴言を繰り返し、他人の意見に耳を貸さない様子は確かに観ていて不快。それが時代の空気でブーストされている。僕はこの時代のゴダール作品「中国女」も「東風」も観ていないけど、小難しい映画なんだろうか。
しかし映画全体としては、スタイリッシュな映像美と、アンヌ役ステイシー・マーティンの可憐さでかなりの好印象。ゴダールらしい手持ちカメラの映像、ベッドの上のアンヌをモノクロで撮る場面やインテリアのビビッドな色彩はとってもオシャレ。ゴダールが壁に書かれた悪口を見て落ち込むと映像はネガポジ反転し、「勝手にしやがれ」で流れたコマ切れ音楽のようにレコードの針が飛ぶと映像も呼応する。またアンヌの髪型はそれ程変化がないけれど、映画前半のミニスカートが露出の少ないパンツルックになり、衣装で19の娘が大人になっていく様をうまく表現していると思った。アンヌにオファーされたイタリア映画の脚本を巡る場面では、「無駄な場面では脱がない」とアンヌに言わせておきながら、画面の二人は無修正の全裸(抵抗がある人は要注意・笑)。まさに無駄な裸というユーモア。メガネが壊れるコメディ描写も含めたアザナヴィシウス監督の遊び心は、ゴダールの自由な作風とは違うけど、彼なりのヌーベルヴァーグへの敬意なのだろうか。
主演二人の熱演に支えられた作品。女と男のすれ違い。後味は決して良くないけれど、どんなだろ?と観ないでモヤモヤするくらいならまずは観るべし。