5月30日 クロミノエンレイソウ
昨夜は、北海道山岳ガイド協会一押しの宿、山菜料理の美味しい新見温泉に泊まり、今日はニセコ神仙沼、羊蹄山山麓の半月湖散策です。新見温泉まで新緑に包まれていますが、すぐ近くの目国内岳ではまだスキーが楽しめるそうです。
チセヌプリ山麓にある高層湿原神仙沼もようやく雪が解けたばかりでした。
途中の道端でもいろいろな花に出会いました。
エゾノリュウキンカ
半月湖周辺にはたくさんの春の花が咲いていました。
シラネアオイ
クロミノエンレイソウ
新芽
ツボスミレ
オオカメノキ
ヒトリシズカ
ムラサキヤシオツツジ
クルマバツクバネソウ
ルイヨウボタン
オオバナノエンレイソウ
10月22日~24日 天気予報では、前線が南下して夕方には晴れるとのこと、 山の天気なので、予報通りに・・・。気温は3度やはりす涼しいです。 硫黄岳からの展望です。
旅行社から頂いた仕事で、本沢温泉から硫黄岳、天狗岳、唐澤鉱泉を歩いてきました。
22日は、新宿を朝のあずさ号に乗り途中で昼食、午後3時半には本沢温泉に到着です。
放射冷却で、朝はかなり冷え込み体を温めながらのんびりと夏沢峠まで歩きました。峠の小屋の軒先にはツララが、小屋にはモモンガが顔を出していました。
現在、立替工事中の根石山荘でカレーライスの昼食をいただき、天狗岳を目指しました。
ここから、一気に標高を下げ、唐澤鉱泉まで単調なくだりが続きます。
23日 唐澤鉱泉から新宿までバスと列車で移動です。バス時間を待つ間、唐澤鉱泉の源泉や敷地裏にあるヒカリゴケを見てきましたが、残念、この時期は光っていませんでした。八ヶ岳=冬山のイメージをお持ちの方もいらっしゃいますが、
10月11日~15日
11日
相変わらず、忙しい日々が続いています。12日からの乗鞍岳、焼岳の仕事の為、11日朝10時ころから飛騨高山へ移動、三連休最終日各地で渋滞が発生何とか回避しながら夜7時に市内へ到着、あつかましくも飛騨山岳ガイド協会の重鎮宅に泊めていただきました。
12日
高山ラーメンが美味しい教えていただき、駅前で高山ラーメンを食べ、ゲストの方々と合流。自動車道日本最高地乗鞍岳・畳平へ向かいました。本日は、昨年、熊が侵入した畳平・銀嶺荘に宿泊です。
13日
朝食前に、乗鞍岳を往復。高山駅で他のメンバーと合流、今度は平湯から上高地へと向かいました。明神池まで散策、糸屋さんこと“西糸屋”に宿泊です。
14日
今日は、上高地から焼岳、中尾温泉へ下山です。
15日
朴葉味噌の朝食をいただき、一路山形へと帰ってきました。
9月3日~7日
昨年、槍ヶ岳から西穂高岳縦走を目指しながら、悪天候の為
北穂高岳で泣く泣く断念したHさんとSさん、ジャンダルムと西穂高岳に登りたいというMさんの3人で、北穂高岳から西穂高岳縦走に出かけてきました。
3日
平湯で大阪、横浜、山形と各地から3人が合流、一日目は幾分涼しさを感じはじめた、上高地から明神にある嘉門次小屋まで1時間のんびり散策しながらの行動です。この宿は、明治の頃から営まれている古い山小屋、一般的には明神池にある名物“岩魚塩焼き”を出している売店と思っている方も多いのでは、実は上高地エリアで一番リーズナブルな宿なのです。そして、数少ない老舗企業「有限会社 嘉門次小屋」です。
この小屋の歴史に興味ある方はどうぞ↓
http://www.kamikochi.or.jp/contents/shisetsu/kamonji/kamonji.html
日本アルプスの黎明期はどんな様子だったのだろうかと想像しながら、薬草の入ったお風呂で汗を流し、暑い夏から開放される様な気分で、岩魚の骨酒をみなさんで回し飲み、夕食は名物の岩魚の塩焼き付きの美味しい食事をいただきました。
4日
夜明け前に、北穂高岳を目指して嘉門次小屋を出発です。2日目は多少長丁場ですが、西穂高岳まで縦走を目指している皆さんだけあって元気いっぱい、余裕で北穂高小屋まで登っていただけるものと期待??。 下界では38度、39度という数字が飛び出すほどの暑さに
みなさん、多少バテ気味になりながら涸沢小屋で一息いれ、“一番高いところにある山小屋”北穂高小屋へたどり着きました。ガイドだけが、“この夏一番涼しい”と感じていたようです。
みなさん暑い中、忙しい時間を調整して参加されたのでしょう、多少バテ気味でも無理もありません。新しくなった標高3000mの北穂小屋テラスで涼みながらお茶をいただき、
クラッシックの流れる中、定番メニュー“生姜焼き”を残さず食べ、元気を取り戻した様子を見てガイドは安堵です。夕食後の喫茶タイムにHさんと生ハムをつまみにアルコールを少々いただき、騒音の響く寝床でようやく眠りにつくことができました。
5日
朝から快晴、ご来光を眺め、去年歩いた槍ヶ岳からの稜線を眺めたり・・・。 遅い朝食をいただき?遅いといっても午前6時前なのです。「調子はいかがですか?」とあえて尋ねず(怖くて?笑イ)、淡々と準備を整え、静かさを取り戻した、山小屋を出発しました。 今日は、涸沢岳を越え、穂高岳山荘まで数時間の行程です。今まで、いろいろな岩稜縦走を経験されている皆さんですが、一応、岩場での歩き方、鎖場の通過などを確認しながらの行動となりました。今日は、「下界の疲れ、昨日の疲れを穂高岳山荘で解消していただき、西穂高までの縦走を乗り切ってください」と手を合わせる思いで出発です。ガイドは登る為の安全確保や環境は整えることができますが、“歩き通す”か“諦めるか”みなさんの気持ちまでは、中々思うようにガイドはできないのです。そんな気持ちが通じたのでしょうか、皆さん元気を取り戻された様子、涸沢岳ではしばらく山を眺め、予定通り穂高岳山荘へ到着です。 昨日の山小屋よりもわずかですが標高が低いので、多少は快適に過ごせるとは思いましたが、受付で「混みそうです」と一言、昨夜の騒音を考え?、安眠を確実にする為個室をキープしました。
これが穂高岳山荘の夕食です。そういえば3週間前も同じ?、昨年泊まった時も同じ?、でもこのような高所で美味しい食事が頂けることに感謝、感謝!! 6日 いよいよ最終日、そしてジャンダルム、西穂高岳への縦走です。
山荘前のウッドデッキに座り、ワインをいただきながら昼食を食べ、雲を眺めたり、テント場を見学したり、山荘に置いてるマンガ“岳”に夢中になったりと思い思いに半日、穂高岳山荘でのんびりと過ごす事ができました。
でもガイドは、彼方の西穂高岳を眺め、怪しげな雲行きを心配したり、アクシデントの無いことを祈るだけでした。まだ縦走はスタートしたばかりです。その後も、天狗の頭、間ノ岳と疲れることもなく順調に縦走を続け、西穂高岳、
西穂山荘と過ぎ、16時45分のロープウェイの最終便で下山。直前に予約を入れた、平湯温泉“ひらゆの森”でリフレッシュです。
ひらゆの森 HP ↓
http://www.hirayunomori.co.jp/
今回は予定通りの行動ではありましたが、いろんなドラマが日替わりで展開、一時は“断念”の文字も頭に点灯しましたが、諦めないで本当に良かったと思います、みなさまお疲れ様でした。“結果オーライ”です!!
台風が近づき、夏の空気から秋の空気に入れ替わろうとしている中、北アルプス・穂高縦走は終わりました。
6月から続いた北海道、東北での仕事、8月から一ヶ月続いた、北アルプスエリアでの仕事、お陰様で無事に終えることができました。
これも、参加されたみなさまの“諦めない”気持ちのお陰と思っています、ありがとうございました、感謝、感謝です。!!
たくさんの人に山へ登って欲しい、そんなお手伝いをさせていただくのがガイドの仕事と思っています。今後ともよろしくお願いいたします。!!
7月27日~8月4日
北海道・道東、知床エリア羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳に出かけててきました。この間、クルマで走った距離約4500㌔北海道の大きさをあらためて感じた山旅でもありました。
前半は、曇りがちな天候でしたが雨具を着ることも無く、
天候と登山時間に合わせ
7/28 斜里岳
7/29 雌阿寒岳
後半
8/2 羅臼岳
8/3 斜里岳・知床五湖巡り
8/4 知床クルージングと
アイヌ部族間争いの伝説を秘め、花の宝庫でもあるオロンコ岩に登りと
各々、知床エリアを充分楽しまれた様子でした。
北海道の地名はアイヌ語から由来するものが多く、発音に漢字を当てたり、意味を日本語に解釈して名付けられたものが多く占めています。また、明治以降開拓者が増加するとともに、願望や開拓にちなんだ新しい地名も沢山生まれました。
知床もシレトク(シリエトク)〈sir-etu〉には「大地行きづまり」(地の涯)「第一岬」 などの意味もあるそうです。
岩尾別温泉にあるホテル地の涯という奇妙な名も知床の意味から来たのでしょう。
標高1,547mの斜里岳は、千島火山帯に属し知床連山と阿寒・摩 周火山群をつなぐ位置にあって、斜里川(「シャリ」は、アイヌ語の「サル(葦のある湿原)」が訛ったもの)の水源を持つため斜里岳と呼ばれていますが、昔 は遠音別岳、海別岳とともに、アイヌ語のオンネヌプリ(オンネ=親、ヌプリ=岳、山の意)と呼ばれていたようです。
標高1,661mの羅臼岳はアイヌ民族はカムイ(神)が住むと考え、畏敬の意を込めて爺々岳(チャチャヌプリ)と呼んでいました。 海(オホーツク海・根室海峡)、山(知床連山)、島(国後島)が一望できる山は国内ではここだけと言えます。 日本アルプスなどに比べると標高そのものは低く見られますが、登山口から山頂まで標高差は1400~1500mあります。
このエリアの山々は高緯度に位置するため真夏でも山頂付近は5℃以下になることがあり、
本州3000m級の山に匹敵する登山となります。
東北も含め北方民族が豊かに暮らしていた、縄文時代を
彷彿とする地名はとても魅力な響きに聞こえました。
飯豊連峰全山縦走 1回目 15日:縦走二日目、移動性高気圧に恵まれ飯豊本山・大日岳を目指すが、天候は良いのに台風の接近を思わせるような強風が飯豊本山から吹き荒れていた。 飯豊本山を越える頃から、雲行きが怪しくなり天候が変わらぬうちにと大日岳を往復。夕方3時過ぎに御西小屋へ戻るとすぐに大日岳が雲に隠れ風がますます強まった。
縦走下山口の新潟県・奥胎内ヒュッテで合流、土砂降りの雨のなかスタート地点・福島県川入の民宿高見台へ。
14日:激しかった雨も止み、初日は雨具を着ることなく切合小屋へ何とかたどり着いた。
17日:未明ラジオのニュースで北海道遭難事故を知る。
今日は、昨日の強風も収まり予定通りエブリサシ岳を往復し、
松の足尾根を下る。
*7月3日 八幡平
午前中は、森吉山山麓の鉱山やマタギの資料館を見学しながら、歴史の勉強。途中で見かけた秋田側・八幡平のワタスゲ、ニッコウキスゲ、レンゲツツジ、コバイケイソウの彩りに思わず車を停めてしまった。
夕方から、八幡平へ登る。柔らかい日差しの中、アオモリトドマツの甘い香りを楽しみながら、ウラジロナナカマドとタカネナナカマドが混生している様子を観察、短い夏を急ぎ足で過ごす高山の花、木が力強く見えた。
花の百名山として近年訪れる人が多い山。2日前の市議会で運行が決まったばかり、お陰様で今シーズン最初の運行日と重なり予定通りのコースを歩くことができた。
水の郷百選、クマゲラ、ブナ、滝、ゴンドラスキー場、パウダーパラダイス、ダム、1300年の歴史を持ちかつては生産量日本一を誇っていた鉱山、循環鉄道、チェーンソーアートといろいろな話題のある山。いつになったら静かな山に戻るのでしょう。
今シーズンのゴンドラ運行は地元のNPO法人が携わることになる、運行予定は、7月4日から10月までの予定。
冬の営業はまだ未定のようだ。
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20090703f
*7月5日 八甲田・大岳
肌寒かった一ヶ月ほど前とは違い残雪も消え、盛夏の八甲田にすっかり衣替えをしていた。大岳直下の雪渓もかなり少なくなっていた。
井戸岳周辺ではイソツツジ、マルバシモツケ、ミヤマオダマキが、毛無岱はミツガシワ、シャクナゲ、ガクウラジロヨウラク、ワタスゲの実などが見頃。
酸ヶ湯温泉の裏の“ぶな林”がこんなにきれいだったとは気がつかなかった。
*7月6日 秋田駒ケ岳
相変わらず、百花繚乱の秋田駒ケ岳。八合目から片倉岳周辺ではミヤマハンショウヅル、マルバシモツケ、エゾツツジ、ミヤマダイコンソウ、コバイケイソウ、オノエランなどが見事。
阿弥陀池周辺では、ヒナザクラ、ムシトリスミレを見ることができる。
馬場の小路では、次々とチングルマ、イワカガミ、ミヤマカラマツソウ、シラネアオイ、ミネザクラが咲いています。
待ちに待ったコマクサも花が咲き、斜面全体が色づきだした。
国見温泉へ向かう途中では、ブナの実が涼しげに風にゆれ、サラサドウタンが満開、イワナシも実をつけはじめ、ツルアリドウシの赤い実も印象的だった。
*7月7日 早池峰山
この時期は、ハヤチネウスユキソウ、ミネウスユキソウ、ミヤマウスユキソウが同時に見ることができる。
ナンブイヌナズナはそろそろ終わり、代わってナンブトラノヲ、チシマフウロウ、サマニヨモギ、
ホソバツメクサ、ホソバイワベンケイなどが見頃を迎えている。ミヤマオダマキ、アズマギク、ミヤマシオガマは変わらず鮮やかな色で出迎えてくれた。
麓にはヤマオダマキが落ち着いた色合いで静かに蕗の葉陰で咲いていた。
5月19日
5月30日(土)~31日(日)にかけて
第29回日本登山医学会学術集会が東京で開催されます。どなたでも参加できる集会です、お時間がある方は是非!!冒険家三浦雄一郎の講演も予定されています。登山に役立つ情報がたくさん得られるのではないでしょうか。
メインテーマ:「登山医学の原点を問う」
2.中高年登山者の遭難事故防止への医学的アプローチ
3.山岳診療所の運営実態と将来
4.山岳環境の医療への貢献
今年は、4年前から月山エリアで開催されています、雪崩事故防止講習会(今年で4回目)で低体温・救急救命の講義・実技等で一回目からお世話になっています、地元 山形県東根市の北村山公立病院脳外科医師國本健太先生も『月山における雪崩事故防止講習会』というテーマで発表を予定されています。