2回目 飯豊連峰全山縦走 21日:予想通り朝から雨。今日は切合小屋までなので、雨が小止みになるまで待ってゆっくりと出発。土砂降りは免れたけれど小雨混じりの中、剣ヶ峰を通過。切合小屋で天気図をとったり、アンテナを携帯電話に繋ぎ気象協会の気象情報を分析するけど、ため息ばかり。切合小屋の佐藤さん(息子さん)も7月に入って晴れた日は2日もないと・・・
20日:先週に引き続き関西の方と飯豊連峰全山縦走へ。
今週は梅雨が明けるだろうという願いも届くことなく縦走を開始、今回も全く同じコース。すっかり馴染みになってしまった民宿・高見台。
23日:晴、でも午後から雨の予報。今日は、今縦走のハイライト、すっきりと晴れないけれど北の空は青空が広がり、空にに感謝しながら頼母木小屋をめざす。
24日:朝焼が出たと思ったら雨。大石岳に荷物をデポし、エブリサシ岳までサブ行動。心配していた雨も止み、無事頂上を往復。
足の松尾根を下り、奥胎内ヒュッテを目指す。今回は奥胎内ヒュッテに泊まる予定なので前回より気楽に行動できた。予備日を2日とっていただき大変助かった。
わずか10日の間に雪渓の雪解けもすすみ、花の様子も様変わり、稜線の一部は秋へと変わりはじめているようだ。
鉾立峰からその頂上手前の草陰に飯豊連峰登山の先駆者“藤島玄翁”のレリーフが建立。この2週間北海道遭難、気まぐれな天候への判断と大変だったけれど、藤島翁が何事もなかったように、微笑んでいるのが印象的な2回目の飯豊連峰縦走登山。
1966年7月に藤島氏の還暦を記念して寿像を建立。藤島氏も同行して背の余り高くない横長の自然石を見つけ、二王子岳を眺めることができるのでここに設置場所を決めたという。
藤島玄翁寿像
建立場所 飯豊連峰杁差岳南峰
碑 名 「玄翁碑」松方三郎筆
撰 文 佐藤一栄
設 置 昭和四一年七月三日
銘板設置 昭和四四年六月一五日
玄翁碑銘文
越 後の山をこよなく愛し 生きる喜びを山登り一筋にかけて 還暦の翁になった玄さん 幼なごころにかえった無心の笑顔 いま温和な瞳にうつるのは 青く澄ん だ池塘か風雪にけむる五十年の足跡か 精悍な熊のように 越後の山を駆けめぐった 玄さんの鉈目が年輪とともに大きく育ち 北の峰にも南の渓にも 先駆者 の誇りをちりばめている そしてこだましてくるのは 若者たちの力強い山靴音だ 鋭い眼差しがかげり 逞しい四肢にはずみが失せても 玄さんの耳は 山の 叫ぶ声をとらえ その心は さしのべた山の腕からぬけ出ることはできない 雲表の岩にゆったりと腰をすえた玄さんは 高嶺の花や赤蜻蛉と語り 霧走る山々 に眼を細めることだろう。 一栄
~ニ王子岳 遠望 ~
飯豊連峰全山縦走 1回目 15日:縦走二日目、移動性高気圧に恵まれ飯豊本山・大日岳を目指すが、天候は良いのに台風の接近を思わせるような強風が飯豊本山から吹き荒れていた。 飯豊本山を越える頃から、雲行きが怪しくなり天候が変わらぬうちにと大日岳を往復。夕方3時過ぎに御西小屋へ戻るとすぐに大日岳が雲に隠れ風がますます強まった。
縦走下山口の新潟県・奥胎内ヒュッテで合流、土砂降りの雨のなかスタート地点・福島県川入の民宿高見台へ。
14日:激しかった雨も止み、初日は雨具を着ることなく切合小屋へ何とかたどり着いた。
17日:未明ラジオのニュースで北海道遭難事故を知る。
今日は、昨日の強風も収まり予定通りエブリサシ岳を往復し、
松の足尾根を下る。