10月は
青森、岩手、福島、長野、富山、岐阜、新潟で仕事の為
しばらく、ブログ更新をお休みします、、、
http://dora-world.com/download/wallpaper/wp_2016oct.html
10月は
青森、岩手、福島、長野、富山、岐阜、新潟で仕事の為
しばらく、ブログ更新をお休みします、、、
http://dora-world.com/download/wallpaper/wp_2016oct.html
9月30日
秋田からの帰路、
大仙市にある”唐松神社”に立ち寄ってみました。
唐松神社は、物部家が63代継承してきた千数百年続く神社
大和朝廷時代、仏教導入をめぐり蘇我氏との争いに敗れ
物部氏がこの地に戻り創建されたと伝えられています。
物部氏と鳥海山は縁が深いとも言われています、たぶん物部氏は大陸からの渡来人でこの秋田の地に上陸したのではないでしょうか。
古代から多くの渡来人は鳥海山と太平山を目印に日本海を渡ってきたとも伝えられています。
”唐松山天日宮”(あまつほのみや)神社は日本の神社の中でも、異彩を放っています。
東北は縄文時代から豊かな暮らしを続けていましたが、
平安時代、貞観の地震、915年8月に起こった十和田火山(現:十和田湖)の大噴火等の天災で東北の豊かさは崩壊してしまったのではと感じます。
この噴火は、遠く800㌔近く離れた京都にまでその火山灰が降り注いだという記録が残っています。
天災や噴火で人々の活動、経済が疲弊した、10世紀後半から「前九年役」の頃までの100年間、東北の歴史は大きな穴が空いてしまいました。
その後前九年・後三年の役から奥州藤原氏の時代、鎌倉時代まで鉱脈・金脈を巡って翻弄された時代、世の常で敗者の歴史は抹消され各地に伝説や言伝えとして残されているだけ、、、
田沢湖のたつ子姫伝説、八郎潟八郎太郎伝説、手長足長伝説、なまはげなどなど、、、
唐松神社の隣にある、中世の城・唐松城、かつて日本海が大陸との交易主要航路として栄えたころ活躍した安藤水軍末裔・安藤氏の居城であり戦国時代に滅びた城です。
古代から今に至るまで変わらないこと”始まりがあれば、終わりがある”ということ
雨の日も、晴れの日も、楽しいことも、悲しいことも、いいことも、悪いことも、、、いつかは、終わる。
とそんな思いに耽りながら、久しぶりにちょっとだけ休日を楽しんでました。
9月は雨に苦しめられました、10月は天気のいい山を歩きたいものです。
秋田の古代史をひも解くと、東北の悲哀に満ちた歴史、山との関わりが見えてきます、
魅力ある地ですね!
早くも、来年の竿灯祭りに向けて練習が始まっていました。
9月29日
jRO講習会前に
ちょっと、立ち寄ってみました。
”明田富士”と呼ばれ、
日本山岳会により「日本一低い富士山」と命名されたそうです。
周囲に高い山がないので展望いい山です。
歴史的には鎌倉時代ころ、富士太郎という豪族の館があったそうで、
当時から富士権現を祭っていたと伝わり、山名の由来になったとか、、、
中世時代、東北の歴史は”鉱脈”なかでも”金脈”の利権をめぐり、
悲しい歴史が繰り返されたころです。
この地も悲哀な歴史が繰り返されたのでは、栄枯盛衰を感じます。
9月29日
日本山岳救助機構主催
第48回 自救力アップ講座イン秋田
秋田駅前
秋田市民交流プラザalvedで開かれました。
山形に続いて、2度目のお手伝いをさせていただきました。
ガイドブックやガイドブックについている地図を
如何に読んで、実際の登山計画に生かせるか、
また、
最近は、ネットを利用して簡単に登山計画を提出できるようになりましたが、
はたして、登山計画書は提出するだけでいいのでしょうかと疑問を投げかけ
危急時の際に如何に役立つか、登山計画書本来の意味についても
事故事例を例にお話をさせていただきました。
あっという間の2時間。
ご清聴ありがとうございました。