山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

久しぶりにブログ更新いたしました 早春の上高地

2018年05月02日 | ブログ

久しぶりにブログを更新いたしました、ご笑覧ください!

一年ぶりの上高地

例年より雪解けが早く

ニリンソウが咲きはじめてました!

ちょっと遠まりして上高地散策!

河童橋近くから

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一年ぶりにこの山へ

2018年05月02日 | 国立登山研修所

4月28日~5月2日

先週に続いて足慣らし山行

槍沢ロッヂでは好日山荘登山学校スタッフで

30年来の友人でガイドの加藤ガイドや

小林ガイド、田村ガイドと再会。

槍ヶ岳へ向かう途中では

棚橋ガイドと再会!

彼も30年来の友人です。

昨年、

ICI石井スポーツ登山学校

槍ヶ岳をサポートしていただいた

ガイドであり国際山岳医でもある

千島先生とも再会!

普段街を歩いていてもこんなにたくさんの知人と出会うことなんて、、、

槍ヶ岳山荘のスタッフの方も覚えていただき、感謝!

思っていたより人も少ない、小屋でのんびりと過ごすことができました。

静かな山頂にも満足、

この山に来てよかった!

翌日も好天

 長い時間かけて歩き、

 雪、岩場でアイゼンの感触、感覚をおもいだし

 次は剣岳へ行ってみよう!!

 

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30年ぶりに

2018年05月02日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

4月27日

1988チョモランマ/サガルマータ交差縦走登山隊

30周年記念パーティが日本テレビ本社で開催されました。

当時アナウンスを担当されたいた、福留さん、木村優子さん、保坂さん

リポーターの中谷さんも

30年前の5月5日

中国とネパールの国境にある山

中国名・チョモランマ

ネパール名・サガルマータの山頂から

交差縦走する様子を5月5日に

日本に向けTV生中継を行った登山隊がありました。

ネパール側から登った隊員、中国側から登った隊員、

両国をサポートする日本隊員、TV隊員の様子が

プロ野球中継を中断して完成したばかりの東京ドームの

スクリーンに映し出さ当時話題のもなりました。

久しぶりにお会いした竹内洋君も当時17歳のころこの番組を

見ていたそうです。

登山としての価値はあまりいい評価ではなかったようですが、

当時27歳で参加したわたくしは同年代の隊員たちと何度もアイスフォールを往復し

8000m近くまで荷上げを繰り返していましたが、みなこ登山をステップに

次のヒマラヤ登山へつなげることで頭はいっぱいだったと思います。

先発隊から隊員が帰国するまでの約3か月ネパールで過ごしルクラでは飛行機が飛ぶまで10日あまり

ガウリシャンカール遠征隊でお世話になったサーダー・ラクパテンジンのロッジで過ごした日々などが

懐かしく思い出すことができました。

この登山隊を通じて出会った同年代の隊員、はじめ著名なクライマーの多くが

山で客死しました。またこの10日余りの間にもお二人の方が逝去されました。

あらためて、先日ご逝去された故湯浅道男先生のおかげを実感した夜でした。

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なまったカラダを

2018年05月02日 | 国立登山研修所

4月21日

帰国してからひと月あまり何かと忙しく山へ行く時間もなく気ばかり焦っていた。

ようやく、西穂独標まで登る時間ができ

日帰りで足慣らし。

5月の春山研修にあわせてもう少し頑張らなくては、、、、

追伸

FBにも投稿したが

登山届義務化が広がり登山届を出す人が増えたことはいいことだと思うが、

登山届は命綱、ザックの重さは命重さなんて教え込まれた世代にとって

この時期独標手前にザック、ピッケル、アイゼンまで置いて往復するなんて???

理解できないのは私だけなのでしょうか?

 

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恩師

2018年05月02日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

4月13日

朝 愛知学院大学山岳部顧問だった湯浅道男先生の訃報が届いた。

高校三年生の時進学で悩んでいた時”山と渓谷”という雑誌の小さな連載記事に目が留まり

湯浅道男先生という名とプロフィールを読んで愛知学院大学山岳部に入ろうと決め、

愛知学院山岳部に入部した。

何も知らない田舎育ちのわたくしは何をするにも皆についてゆけず、

学生のころからから先生に先輩に怒られてばかりだった。

最近になってようやく、なぜあの時怒られたのかを理解することができるようになった。

葬儀の最後、師が好きだった歌ということで山岳部OBで歌った”学生時代”、“わかものたち”は

北岳バットレスで亡くなられた二人の岳兄を偲んで部室でよく歌ったあの歌、

いろいろなことをおもいだしてしまいボロボロに泣いてしまった。

いつかは恩返しをと思ったいたがそれのもかなわぬままになってしまった。

在りし日の姿を忍び心からご冥福をお祈りいたします。

 

ありがとうございました。

合掌

 

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