ある日
12月に担当する研修予定地山域の下見に出かけた
場所は宮城県丸森町 岩岳
2019年発表の台風19号の影響でいまだに主要な登山口へ通じる林道は再開の目途も立っていない
登山道の安全確認もまだのようだ(第三登山口は利用可能)
丸森町内では災害復旧工事や河川改修が進められている。
人口減少と言われ久しい、当然生活基盤となる場所からの復旧が優先となり登山道へ通じる林道は後回しになるのは
仕方のないこと。
そんなことを考えていたら 登山と平和について考えたことをおもい出した。
1989年
シシャパンマ峰愛知学院大学山岳部登山隊に参加、ネパールから隊荷を中国へ輸送することになり一人ネパールへわたり
現地エージェント・ヒマラヤンジャーニー、ラクパ・テンジンシェルパファミリーの力をお借りして
隊荷を日本からネパール、ネパールから中国へと通関手続きの為
ネパール政府役所、在ネパール中国大使館へ何度も足を運んだ
ようやく中国大使館から通関の許可がおり隊荷を積んだトラックに乗りネパール・中国国境の町・友好橋のあるコダリへ向かった。
予定では橋の中間(国境)で後ろ向きにトラックの荷台をつけ荷物を積みかえるだけだったのが、、、
何と直前の大雪で道路が通行止めになりトラックが入れなくなるアクシデントが発生、急遽ポーターを雇うことになり、ポータが背負う為隊荷を30㌔に梱包し直しパッキンリストも書き直すということに
何とか100個近い荷物に詰め直しポータも手配でき無事国境を通過できたのはよいが、通過中国境警備に当たっていた中国人民軍の兵士から銃剣をちらつかせながら緊迫したなか通過したことを思い出した。
調度天安門事件(1989年4月15~6月4日)直前の頃で結果チベットで登山活動ができた登山隊は我々だけであった。
帰国後はコメの不足からタイ米を緊急輸入し毎日タイ米の弁当を食べたことも、、、
その時のことが「平和と山登り」を今も山に登るたびに思い出すことがある。
いま、世界各地で紛争が起き、さらに世界各地、日本各地でも激甚災害が起こり、地方では過疎化が進み、里山が荒廃
あたり前のような登山行為ができなくなり、当たり前のように登っていた里山が登れなくなる現実をこの岩岳を通して
目の当たりにした出来事だった。
平和と安定した気候に感謝!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます