十数年前からのことであるが、毎年 正月三が日の内の1日は 近隣各地の七福神巡りをすることにしてきた。もちろん 初詣の意味も有るが、主目的は 年末年始に鈍った身体に活を入れるべきウオーキング・街中散歩。
昨年の正月までは 欠かさず続けてきたが 今年の正月は 新型コロナウイルス感染拡大第三波の襲来真っ只中にあり やむなく中止と決め込んだ。
正月もさして変らぬ老夫婦
動いていないのでブログネタ無し。
過去の「新春七福神巡り」ブログ記事をリメイク?(過去記事をコピペ、再編集)、
多少でも正月気分に浸ろう等としているところだ。
その1 「深川七福神巡り」
11年前、2010年1月3日には 東京都内に数多有る七福神の中でも有名な「深川七福神巡り」をした。周辺に史跡旧跡が多い上、下町情緒が漂う街中を歩けることで 人気の高い七福神である。深川七福神会ホームページ等を参照、ガイドマップを片手に「♪ 知らない街を 歩いてみたい・・・♪」気分で巡ったものだ。
「深川七福神」は 東京都江東区に有る 三つの神社と四つの寺院に祀られており、どこから巡っても構わないが おすすめ順路に従って 都営新宿線森下駅を起点にし、都営東西線門前仲町駅を終点とした。
標準所要時間は 約2時間とされているが あちこちに立ち寄ったり、休憩したり のんびり歩き、3時間位で巡ったような気がする。
(一)寿老神
福徳・・・延命長寿
寿老神は 寿老人とも書き、中国道教の神、老子の化身の神とも言われている。
深川神明宮に安置されている。
深川神明宮 東京都江東区森下1ー3ー17
深川において創立が最も古い神社。大阪摂津の深川八郎右衛門が この付近に深川村を開拓し その鎮守の宮として慶長元年(1596年)に、伊勢皇大神宮の御分霊を祀って創建したと言われている。徳川家康がこの村に来て、村名を尋ねた時、村の名前が無く、深川八郎右衛門の姓をとって「深川村にせよ」と命じたことから、深川の地名の元になり、以来 この周辺が発展した後、各町の町名には「深川」が冠せられるようになったのだそうだ。
(二)布袋尊
福徳=清廉度量
布袋尊は 中国五代の頃、浙江省奉化県に実在した契此という高僧だと言われている。
深川稲荷神社に安置されている。
深川稲荷神社 東京都江東区清澄2ー12ー12
寛永七年創立の神社。祭神は宇賀魂命、西大稲荷。神社の裏の小名木川は江戸時代初期から船の往来が激しく、一帯に船大工が住み、造船、船の修理をしていたことから、昭和7年までは 深川西大工町という町名だった。
(三)毘沙門天
福徳=勇気授福
毘沙門天は インド名でバイスラバンナ、元々ヒンズー教の財富の神だったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ仏神となったもの。日本では 仏教守護の神から転じて国土守護の武神として 特に武将の間で信仰されるようになり、毘沙門天を守護神とした上杉謙信や 布貴山の毘沙門天に祈願して生れたという楠正成等が有名。
龍光院に安置されている。
龍光院 東京都江東区三好2ー7ー5
慶長16年(1611年)馬喰町に創立、大火の多かった江戸時代、数度の大火で焼失、移転を繰り返し、天和2年(1682年)に 現地に移ってきた浄土宗雲光院の塔頭寺院。
(四)大黒天
福徳=有福蓄財
大黒天信仰には 二つの流れがあり 一つは 大国主命(おおくにぬしのみこと)とする流れで 多くは神社に祀られており、もう一つは インドのマハカーラという仏神で 多くは寺院に祀られている。
円珠院に安置されているのは 仏神に大黒天。
円珠院 東京都江東区平野1ー13ー6
亨保15年(1730年)に、旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立し、後に円珠院殿妙献日寄大姉の法名で この寺に葬られた。江戸時代から 「深川の大黒天」として有名だったという。
(五)福禄寿
福徳=人望福徳
福禄寿は 星宿の神、南十字星の化身とも言われ、長寿を司る人望福徳の神。一説に中国の宋の時代に実在した道士であるとも言われている。福(幸福)、禄(財)、寿(長命)、三つ之福徳を授ける神と言われてきた。
心行寺の六角堂に安置されている。
心行寺 東京都江東区深川2ー16ー7
元和2年(1616年)に 尾道上人により開山、京橋八丁堀寺町に創立され、寛永10年(1633年)に 現地に移ってきた 由緒有る名刹、浄土宗の寺院。
(六)弁財天
福徳=芸道富有
弁財天は インド名はサラスバティという川の名前。意訳して大弁天、美音天と言われた川の神だったが この神は悪声を美声に変える音楽の神、芸術の神、弁智弁舌の神だった。日本では 弁才天より 弁財天として 財宝を施す神として信仰されるようになり 商売繁盛の富有の福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置つけられた。江ノ島、竹生島、厳島等の弁財天が 昔から有名である。七福神では唯一女神。一般的には 青色の衣を着て 左手に琵琶を抱く坐像が多い。
冬木弁天堂に安置されている。
冬木弁天堂 東京都江東区冬木22-31
宝永2年(1705年)、木場の材木商冬木弥平次が 茅場町から深川の現地に屋敷を移転した際、邸内に大きな池があり、その畔に竹生島から移した弁財天を安置した。当時から 町名は冬木町と呼ばれ、冬木弁財天は 明治3年から一般参詣に開放されているのだそうだ。
(七)恵比寿天
福徳=愛敬富財
恵比寿天は イザナギノミコトの第3子にあたる蛭子尊であると言われており、全国の恵比寿信仰の中心は兵庫県西宮市の西宮神社なのだそうだ。
恵比寿天は 富岡八幡宮の西側にある恵比寿宮に祀られている。
富岡八幡宮 東京都江東区富岡1-20-3
寛永4年(1627年)に 当時永代島と呼ばれていた小島に創建された。周辺の砂州一帯が埋め立て 社地と居住地を開拓、総じて6万508坪の社有地を誇っていたという。以来、隅田川両岸一帯の氏子をはじめ広く世の崇高を集めて、江戸の最大の八幡さまとなり「深川の八幡様」として親しまれてきた。
さすがに人気の高い富岡八幡宮、初詣の長蛇の列に並ぶ時間的余裕は無く、最後の御朱印を受け、遠いところで拝礼し 帰途についた。
各寺社でご朱印を受ける特製色紙は
三社四寺どこででも入手出来る。
上記記事は 「深川七福神巡り」した際にいただいた
深川七福神会の小冊子「深川七福神」等を
参照・引用させていただいたものだ。