「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。
「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記のことだが まさか 数十年後になって ブログで第三者の目に晒されるとは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その3 「校舎の屋根雪おろし」
昭和31年2月11日(土)、天気 雪、
1限目 英語、
2限目 数学、多角形(正多角形)
3限目 男子 雪おろし、
4限目 男子 雪おろし、
1、特別作業として 雪おろしをした、
中3は 運動場(体育館)の屋根、中2は 便所の屋根、中1は 農具舎の屋根、
連日の降雪で かなりの積雪になっていたのだろう。3限目、4限目は 授業を取り止め 男子生徒は 校舎の屋根の雪おろしをしたと 書いてある。中学生の男子ともなると 農作業等でも 一人前の男衆とみなされて あてにされた時代だったが 校舎の雪おろしまで やらされていたことになる。
M男達が「運動場」と呼んでいたのは 体育館のことで 小さな中学校だったとは言え その屋根は高く 危険だったはずだが 当時は 生徒も、教師も、父兄も 平気で、そんなことは当たり前だと考えていたのだろう。「もし 事故でも起きたらどうしてくれる」等と 学校に詰め寄るような父兄も無し、おおらかな時代だったと思う。M男達 中1の男子生徒は 校庭の隅に有った 平屋の農具舎の屋根雪おろしをしたようだ。
多分 前日に知らされて その日の朝は 各自 家から 「カクスコ(角スコップ)」を担いで 登校したはずである。
昭和31年2月12日(日)、天気 雪、起床 6時、
1、午前中9時から午後5時まで 劇の練習、
2、朝から やまずに ぼたん雪、
3、根?地区で 市民スキー大会があったそうだ、汽車は そのスキーの選手ばかり、
明日は スコップ用意、
当時 3学期の行事のひとつに 「学芸会」が有った。各学年が 演劇、合唱の特別練習をし 父兄等村民に見てもらう行事だったが 間近に迫っていたのかも知れない。
M男達は 日曜日を返上して 1日中 演劇の練習をしたと 書いてある。
この日も 北陸独特の湿ったボタン雪が 1日中、降り続いたようだ。当時 学校の近くを 旧国鉄線が通っていて 積雪が激しい日等には 1日に何回も ラッセル車が走った。
M男達には 見慣れた情景ではあったが 雪を蹴散らして 疾走するラッセル車は やはりかっこよく、校舎の窓から よく眺めていたものだ。カメラ等持っていない時代、日記に書き込んだ絵を見ると なんと ラッセル車を押しているのは 蒸気機関車のようだ。そんな時代だったか と 感慨深くなる。
昭和31年2月13日(月)、天気 晴、
1限目 数学、四角形、
2限目 職業、珠算、
3限目 雪ほり作業、中学全員、(学校前と運動場屋根)
4限目 雪ほり作業、中学全員、(学校前と運動場屋根)
この日も 各自 家から カクスコ(角スコップ)を担いで 登校したのだと思う。現在のような プラスチック製、アルミ製のスコップではなく 分厚い鉄製のスコップで 結構重いものだった。
3時間目と4時間目は 前々日の続きで 校舎の屋根雪おろしや おろした雪の始末をしたようだ。
昭和31年2月14日(火)、天気 晴、起床 6時10分、
1限目 音楽、旅愁、
2限目 英語、21 感嘆文、
3限目 数学、五角形、
4限目 体操、スキー、乗り方(滑り方)、歩き方、回り方など 指導(された)、
5限目 国語、話しことばと 書きことば、
6限目 理科、地震、地震計、
1、スキー乗りは 練習ばかりやって終わった。
帰家 17時30分、
音楽の時間、「旅愁」を習ったと書いてある。当時は 多分 初めて知る曲であり 1小節づつ 何回も繰り返し 歌わされたりしたのではないかと思う。
体操の時間に スキーの指導を受けたと書いてあるが まったくその記憶が無い。
当時 M男の暮していた北陸の山村では まだ 板スキーに金具を取り付け 「フィット」と呼んでいた皮ベルトで 長靴に縛り付ける類のスキーしか普及しておらず 近所の坂道で 直滑降で滑って遊ぶ程度だった。
そんなスキーで 滑り方等 教わったかなあ と 思ってしまう。
帰宅時間 17時30分と書いてあり この日も 放課後 学芸会の劇の練習をさせられたのかも知れない。