たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

懐かしきスキー遊び(再)

2021年01月07日 09時42分59秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和20年代、30年代、M男は高校卒後まで北陸の山村で暮らした。すでに その頃の記憶は曖昧になっているが、毎冬、1m以上の積雪は当たり前だったような気がしている。しんしんと降り続き、一晩で50~60㎝位積もる日もざらにあったし、それが「根雪」となって 冬中 地面を見ることが無い 白銀の中で 暮らしたような感じさえしている。それは 近年のような 除雪車両による 道路確保等ということは行われず ただ 人が歩くために 「かんじき」で踏み固めた1本の雪道を往来し、隣家に行ったり、通学したりした 風景を思い出すからだろうと思う。春 雪解けが始まり 土手や 良く陽の当たる場所で ところどころ 黒い土が現れる頃までは 決して 人力で 地面まで掘り下げて 道路除雪しよう等とはしなかったのは 除雪してもまた積もる訳で 無駄な抵抗をやめ 自然の為すがままの暮らしだったんだろう。車社会以前の話である。時代が変わっても 冬の日本海側、特に北陸の気候が そんなに大きな変化するはずもなく 西高東低の気象状況を見る毎に 今 雪の無い暮らしをしているM男は 今はもう帰る家も無い故郷の雪景色を思い浮かべてしまうのである。

(実家の有った集落の写真)

そんな雪の中の暮らしも 子供達にとっては むしろ 楽しい季節だったことは間違いない。M男が 小学校高学年から中学生になった頃には 子供用のスキーが 普及してきて まだまだ 貧しい暮らしの中で 皆 次々と 買ってもらい 学校から帰ると直ぐ 近所の傾斜地で遊んだり、はげ山になっていた裏山まで遠征し 日が暮れるまで 遊んだものだ。


当時、M男の家には もちろん カメラ等は有るはずなくて 古いアルバムに貼り付けられている日常のスナップ写真等は 数える程しか残っていないが、中に M男と従兄弟のT男がスキーで遊んでいる写真が1枚有り、貴重な写真になっている。居合わせた知り合いが撮って 焼き増ししてくれたものだと思われるが、これまで何度もブログネタにしている。

Photo


スキー板の「金具」に 「フィット」と呼んでいた 皮のバンドを取り付けた簡単なスキーで 金具部分に長靴の先を掛け 長靴の踵に 「フィット」を掛け どちらかというと 長靴に縛りつけるような類のものだったため 思い切り転倒等しようものなら スキー板は 長靴から外れ とんでもないところまで 走って行ってしまったりした。ふにゃにゃした長靴では スキー板のコントロールを 出来るはずもなく ボーゲンさえ 難しく ほとんど 直滑降のみだったような気がするが 滑り降りては また てくてく登り 飽きずに 良く遊んだものだ。スキー板に 雪がこびりつかないように等と 蝋を、焼いたコテで 溶かしながら塗ったり スキー板の反りを変えよう等と荷重をかけたり 子供なりに いろいろ工夫した記憶がある。当時 スキー場の存在も知らず、スキー用品の知識も無かったM男には スキーは 完全に「子供の遊び」道具であり 長靴、学生服のまんまのスタイルも 当たり前だと思っていたが 後に 「スポーツ」としてのスキーや、華やかなゲレンデ風景等を知ることになる。  

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