たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2021年畑仕事始め

2021年01月11日 15時57分09秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

今日は 1月第2月曜日、国民の祝日 成人の日、三連休3日目だが 
新型コロナウイルス感染第3波の歯止めが掛からず、緊急事態宣言発令下、不要不急の外出自粛が声高に呼び掛けられているため、全国的に 成人式等のイベント中止もあり、例年のような晴れやかさが感じられない日になっているような気がする。
今日の当地は、曇のち晴、最低気温は -5度前後、最高気温 5度前後、
空気がカラカラに乾燥して、冷え込みの厳しい日になっているが、 
午後になってから
もう 昨年暮れから2週間も、畑に行っていないし・・・、
(放ったらかし・・・)
今日は どうしても行ってみてこないと・・・、
ということで 
やおら 重い腰を上げ、GO TO 畑 と相成った。
2021年畑仕事始めだ。

(1)昨年暮れ、キヌサヤ、スナックエンドウ、サラダ菜、サニーレタス、
   イチゴ、ホウレンソウに、とりあえず、仮に被せておいた寒冷紗、
   氷点下の日が続くようになっているので しっかり被せ直しをした。

(2)大根、ホウレンソウ、サラダ菜、サニーレタス等 収穫

畝は 凍土と化しており、10cm以上 カチカチ、
まずは 水を散布してから スコップで・・・、

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「中学生日記より」その2(再)

2021年01月11日 06時00分23秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。
「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記のことだが まさか 数十年後になって ブログで第三者の目に晒されるとは 当時想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その2「ほんかく(本格)的な雪ふり(降り)」


昭和31年1月7日(土)、天気 雨のち雪、起床 6時10分、就床 9時10分、

1、今日は 家のも、僕のも 年賀状が1枚もこなかった。
M男の家は 村の中心部からは3km程離れた戸数4戸の小さな集落に有ったが そんな集落に 当時 村の郵便局の配達員(「ゆうびんやさん」と呼んでいたが) 黒い大きな肩下げカバンを担いで 歩いて郵便物を配達していた。小太りで いつもニコニコ、丸眼鏡のおじさんだったが 村民の皆と顔馴染みで 春夏秋冬、玄関先で休憩し、お茶、おしゃべりしていくような存在だった。今のようなDMの類等無かった時代、郵便物が頻繁に届くことなく ゆうびんやさんが来ると 「誰からの手紙?はがき?・・・」と 場合によっては心待ちにしたものだ。年賀状も 今のように 元日に おおかたが配達完了ということはなく 村の郵便局に配送された順に 配達していたのかも知れない。その日には 1通の年賀状も届かなかったと 書いて有る。

2.昼前は 8時頃から昼まで、ごはんを食べてからまた 広幡へ行った。
  勇君が 足をおしょって(折って)ねて(寝て)いるから 
  遊びに行ってやれと言われて行った。
近所の子供が 足を骨折し自宅療養中で 「退屈しているだろうから遊びに行ってやれ」等と 親に言われ 1日中、その子供の家で過したようだ。「おしょる」とは 「折る」の意味の方言。

3、祖母と弟は 平左ェ門へ行った。
  とまって(泊まって)、明日くる(帰る)予定、
当時 北陸の山村では 1月15日の小正月が終わるまでは 正月という観念があって 親戚等の家に寄り合ったり 泊まり込んだりしていたが 祖母が小学生の弟を連れて 親戚の家に泊まりに行ったと書いて有る。当時は 各家を 苗字でなく 屋号で呼んでいて、平左ェ門(へいざいむ)も 親戚の屋号である。

4、夕食 また ちゃわんむし(茶碗蒸し)をした。
5、夕方4時頃から 雪がふり(降り)出した、


昭和31年1月8日(日)、天気 雪、起床 6時20分、

1、雪が今年始めて(初めて)多くふった(降った)、
  ふった(降った)量は 朝は 34センチ余り、夕方は 43センチ余り、
  この雪ふり(雪降り)は 北陸全体だそうで なめり川市(滑川市)では 
  73センチもふった(降った)という、

  スキーをすこし乗ってみた、勝雄君達は かまくら遊びをしていた、
この年の正月は 雪が少なかったのかも知れない。今年 初めての大雪 と書いてある。多分 朝から ボタボタ 1日中 降り続いたのだろう。当時の子供用のスキーは スキー板の金具に フィットと呼んでいた皮ベルトを取り付けたようなもので 長靴に締め付けて滑る類、ほとんど直滑降程度した出来ないようなスキーだったが 家の前の坂道でよく遊んだものだ。
当時は 「雪ふり(雪降り)」の中でも 子供は 平気で遊んでいたが 今のような 防水、防寒着等無かった時代、衣服から 長靴の中は ズブ濡れ、でも 全身は汗ダク、家に戻ってくると 湯気が立ち上っていたものだ。

2、しょうじ君たちが、オケヤから帰った、おじさんと、
オケヤとは 本家(父親の生家)の屋号、やはり親戚が泊まりにきていて 引き上げていったと書いてある。

3、祖母と弟が 午後3時半頃帰家、
親戚の平左ェ門(へいざいむ)へ泊まりに行っていた祖母と弟が帰ってきたと書いてある。

4、今日から大相撲初場所、大内山は ○、時錦は ⚫、
当時、M男達子供の間では プロ野球やその他のスポーツ等については ほとんど話題に上がることも無かったような気がする。新聞やラジオから伝わってくるスポーツとして 大相撲が一番人気が有り、熱中していたように思う。NHKラジオ第1放送1局が 雑音混じりでやっと聞こえた土地柄、相撲の実況中継は 唯一 楽しみなスポーツだったのだろう。それぞれ 贔屓の相撲取りが有り、一喜一憂していた気がする。大内山、時錦・・・懐かしい四股名だ。

5、明日から 第3学期が始まる、
年末年始の冬休み、最後の日だったようだ。


 

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