昨年からずっと続いているコロナ禍の暮らし、もう1年以上は、基本、家籠もり、遠出、旅行、山歩き等を控えてきたが ここに来てまた感染第三波に歯止めが掛からなくなっており、緊急事態宣言が発令される始末。新型コロナウイルス収束はいつのことやら、まだまだ当分は 元の暮らしに戻せそうに無い。
テレビ番組でも 過去に放送した番組を再放送しているケースが増えているようだが、ブログネタも限られてきており 最近は 過去に書き込んだ記事をコピペ、再編集したりしている。
「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 1度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っている。
高校卒業まで暮していた北陸の山村の実家は 長い年月空き家状態になっていたが、全国的に 空き家廃屋放置が社会問題化していることも有って、ずっと気になっていた。数年前にやっと取り壊し(解体工事)を 済ませたが、取り壊す前の数年間は 年に何回も、車で往復、座敷、茶の間、台所、2階、作納屋、物置や押入れの奥の奥まで詰まった 気の遠くなるような家財道具類、雑物等の分別、整理廃棄処分したものだ。
そんなある時 2階の押入れの奥の隅の大きなリンゴ箱(木製)に詰まった M男や弟妹の小学、中学、高校時代の教科書やノート等が まとまって見つかった。
子供のものでも何でも、一切捨てるということを考えなかった父母が保管していたものだったが 長い歳月が経ち、汚損、腐食激しく、ボロボロ状態。
ほとんどは 廃棄処分したが 「エッ!、こんなものが」、記憶に無い物が次々、どれもこれもタイムカプセルを開けるが如しで ある種 感動さえ覚え、手が止まったものだ。選別、分別し、ほんの一部を とりあえずダンボール箱に詰め込んで 持ち帰っていた。その中に M男が中学生時代の一時期に付けていたと思われる ボロボロの「日記帳」が有る。
日記を付けていたこと自体の記憶も無く、「こんな日記 書いていたかなあ?」、
後日になって、半信半疑、ページを捲ってみると 間違いなし。当時の自分の字にも びっくり、井の中の蛙、田舎の中学生にタイムスリップするかのような錯覚を覚えてしまい、しばし感無量になったものだ。
古い写真や記録等を目にすると、すっかり忘れたはずの記憶が なんとなく炙り出されてくるもので、多分 これは、国語担当のH教頭から 「日記を付けろ」というような話が有って、付け始めたものだと思われる。
確認すると、中学1年生の6月から始まり 中学2年生の8月で 途切れている。
当時 父親は 農業をしながら 隣町の小さな印刷所兼文房具店に勤めていて ノート、鉛筆、クレヨン等の文房具類を よく貰ってきたり安く買ってきていたが その粗末なノート日記帳も 売れ残りかなにかを貰ってきてくれたものだったのかも知れない。
それにしても 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多過ぎ、
ただ ページを捲っていくと、なんだか中学生時代の暮らしが一気に蘇ってきてしまい、これは「大切な資料?」等という気になり、第三者から見れば 汚いゴミ同然の代物なのだが、結局未だに捨てきれず仕舞い込んでいるという次第。ブログカテゴリー「M男のあの日あの頃」に書き留めながら いずれは処分しなければと思っているところだ。
その1 「ハンドル付きソリ完成とドンド焼き」(再)
昭和31年1月14日(土)、天気 雪、起床 6時、就床 9時30分、
1限目 英語 国語に??、テスト、斉藤先生による
2限目 数学 平行線
3限目 特活 続(読)書、詩作り ???
4限目 特活
1、今日は 昼からかがい(課外)は無かった。
多分 補習授業のことだと思われる。
2,かきぞめ(書き初め)を(が)かえした。(返された)
毎年 年末年始の冬休みの宿題の一つに 書き初めが有り、最初の登校日に提出、各教室に貼り出され、金賞、銀賞、銅賞の表彰をしていたが 取り外され 返されたということだ。
3,夕(方)4時、5日間に渡って造作していた「ハンドル付きソリ」を 出来上がらせた。そして見えなくなるまで(暗くなるまで)、試運転したが 僕としては上等に出来たと思う。
木材や竹の切れ端、錆びた古釘等 寄せ集めた 間に合わせの材料で、試行錯誤して作った「ハンドル付きソリ」、前の山道で試運転し カーブで ハンドルが機能したのだろうか。「よし!よし!」・・(自己満足)、満足気なM男の顔が 想像出来る。ただ 数日後には バラバラに壊れて ガラクタと化したような気がするが・・・。すっかり忘れていたが 「ソリ」のことを 「ソウリ」と呼んでいたようだ。
4、明日は 小正月、夕食は 魚、肉類は 無いが 正月と同じように 賑やかだった。
当時 M男の暮らしていた北陸の山村では 1月1日を 大正月、1月15日を 小正月と呼んでいて まだまだ 正月の内だという雰囲気が漂っていた。小正月には かしこまった料理は 作らなかったような気がするが 家族で 「カルタ」等をして ゆっくり過ごしたものだ。また 小正月には M男の集落では 戸数が少なかったこともあり やった記憶が無いが 各集落で 「ドンド焼き」が 行われていた。雪明りの夜、遠くの雪原の上で燃え上がる 「ドンド焼き」を 眺めていたことが 思い出される。今でも 全国各地で 存続している様子が伝えられているが M男にとっては 一面 深い雪で覆われた田んぼの真ん中で 夜空を焦がす「ドンド焼き」が 原風景となっている。