足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その7
ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
出典
続後撰集(巻十八)
歌番号
100
作者
順徳院
歌意
宮中の荒れ果てた古い御殿の軒に生えている忍ぶ草を見るにつけても
皇室の衰微が情けなく思われて、
偲んでも偲びつくせない程慕わしいものは
延喜・天暦の頃等、昔のよく治まっていた御代であることよ
注釈
「ももしきや」の「ももしき」は、皇居・宮中の意。
「古き軒端」=「古めかしい、古色を帯びた軒の端」の意。
「しのぶにも」の「しのぶ」は、シダ類の一種「忍ぶ草」と
「昔を偲ぶ」の掛詞。
「なほ」=副詞。「やはり」と訳す。
「あまりある」は、、及ばないこと。
ここでは、「偲んでも及ばない」「偲びつくせない」の意。
「昔なりけり」の「昔」は、「皇室の栄えた昔」の意。
父親後鳥羽院に従って、
やむにやまれず鎌倉幕府討幕計画に協力、
皇室の衰微を嘆き、
「承久の乱」を起こそうとする思いが秘められている。
順徳院(じゅんとくいん)
後鳥羽天皇の第三皇子。
14歳で即位、第84代天皇、順徳天皇となったが、
25歳で院となった。
父親後鳥羽院の鎌倉幕府討幕計画に協力し、失敗、
佐渡に流され、21年後、佐渡で没した。
川柳
「兄弟も親子も並ぶ百人一首」
百人一首の作者には、
歌人の血統が重んじられるせいなのだろうか、
兄弟や親子の作品が多く選ばれている。
後鳥羽院、順徳院も、親子の例のひとつである
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)