4月末にどとっと届いたナラの原木二山、うち大きい山すべて刻んで割って薪にしたぜぇ。春先伐採したってことだから、この冬に使うにゃ、早く割って風に当てるしかいない。しかももうすぐ田植えだし。それが終われば除草機押しだろ。今のうちになんとか目途付けちまいたいんだよ。
チェーンソー、ガソリン満タン1回分、一気に切って、薪割り場に運ぶ。これを数時間かけて割って行く。斧1丁、真っ向勝負!スパンと割れる素直な奴ならいいんだが、中には何度振り下ろしても、跳ね返されるばかり、なんて性悪には苦労する。早期乾燥を目指すとなると、4分割、なんかじゃダメだ。そこからさらに細く割って行く。
田植えに向けた農作業の合間、イネ苗や野菜苗を見ながらなので、薪割りにばかり時間を取れない。そんな中でも、ただひたすら、黙々と!切る、割る、積む、を繰り返し、家の北側は、とうとう2重の薪壁に覆われてしまった。
うーん、ここまであるとはなぁ!ナラ原木の前のリンゴ伐採木も合わせると、もう2か月近く、薪、薪、薪で過ごしている。まだナラ原木の4割は残っているとはいうものの、よくぞ、ここまでたどり着いた!褒めてつかわす、の感大いにありだぜ。
残りの一山、田植え前に刻めるかぁ?微妙だなぁぁぁ。疲労も確実に蓄積しているし、薪置き場も新設しなけりゃならん。これに河川敷の支障木も来るわけだ。もう、家の裏側は、薪で埋まってしまうぞ。
と、これだけため込んでも、一冬燃やし続ければ、すべて使い切っちまうわけだ。この積み重なることのない労働はいったい何だ?
これが暮らしってものなんだけどな。