自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

モーナ女史の色即是空:不生不滅

2014年02月19日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)


空=永遠の命であり 色[物質)の存在の原点(モーナ女史)               2014・2・19

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般若心経は 仏教徒の方達に限らず、スピリチュアルな

人達が必ず、読解されようとする経文のようだ。


これを取り上げるのには、次のような理由がある。

 

ほんとうに病は存在するのか?という究極な質問に、

日常的に、読み親しまれている この経文が答えを

出してくれているからだ。


私自身、余命宣告を国立機構”相模原病院”で
30代のとき、受けたが以下の信条にしたがって、
放射線治療を受けず、検査にも行かず、健康的に
現在に至っている経緯がある。

その言葉は、

”色即是空”

物質は 空 であるという意味。


空とは何ぞや?

は、私のブログの中で、扱っているのでそれを
ご参考に見ていただければ幸いだ。

空とは、物の実質、神格とつながっている点を
空と、定義しているのは、ヒューレン博士。

一方、空中無色 (くうちゅうむしき)と
続けて心経には、書かれている。

空と空中が、真反対である。

つまり、とは質量が無い点、空中とは、距離ができ、
場ができ、質量が生まれた世界と私は解釈している。

だから、空中、つまり、想念や考え(識)に
よって、出現したこの現象世界には、”もの=色”
存在しているように見えても、

それは 迷妄的に一時的な存在に過ぎないので、
究極、存在しないということになる。

その意味で、病は物質(ヴィ―ルスや物質的要因など)
が原因で起こるとされているが、般若心経的に言えば、
実際、そのヴィールスという’色’は実態がない。

言い換えれば、病は実存しないということになる。

なぜなら、物質の本質は”空”(無色の生み出す生命的

力のみ)なのだから、


この観方を徹底させていくと、

実存的本質を説くこの経文によって、医学的常識

のみならず、感覚でとらえる、現象世界の現代人の

常識を全く異次元の世界を見直すことが可能に

なるだろう。

 

経文が ”絵に描いた餅” であれば、意味がない。


しかし、この 色即是空 の真理はさまざまな言葉で、

多局面から識者や賢者がとりあげ指し示す。


たとえば、今日の主題のモーナ夫人の言葉からも、

この真理の見解を明白に感じ取ることができるよう

に思う。


般若心経では、私たちや身の回りの現象に

現れている物質的存在の本質は‘空’であり、

空 は 不生不滅“であると説いている。


文字通り、生まれることなく、滅することが無い

ということなのだから、

 

永遠に生き通しの命、それが私たちの本質で

あるということ。

 

モーナ女史(数日前のブログ参照)は空の観念

に等しい、永遠の命について、次のように

わかりやすく語っている:

 

“自由になって、わくわく生きている

それがあなたに与えられた命の正体“

 

自由とは、究極の自由は自分自身を縛って

いるものから、フリーになること。


自由になるということは、外部よりもむしろ、

自分の内部精神面での自由をさす。


たとえば、執着の苦しみや喜怒哀楽の感情

揺れから生じる、不安定さなどから、解放されていたら、

それこそが、本当の自由だ。


そうした、締め付けの呪縛から解かれて、自由で

あるほんとうの自分自身になったとき、そのとき

人は何を思うのだろう?

女史は応える。

 

“あなたに与えられた恵みを完全に活かすこと。

想いだして・すべてがあなたの一部であること。


繋がれば、あなたはその全てになれる

与えることは無限

与えられるのも無限。 

なぜなら宇宙全体があなた“

 

“永遠の命をいきるとき、宇宙の目的と一つになる。

一つになると、全部になる。


野に咲く花たち、立ち込める朝もや、夕焼けの

きらめきと一つになる“

 

さらに、

“痛み、敵意、怒りは、あなたの中の命の水を

せき止める。

そんなものはすべて 幻(まぼろし) なのに、

どんな存在であっても、あなたと同じ、

それぞれが、特別な目的を与えられてこの世に

送り出されている“

 

大いなる運命、力によって、送り出されている、

私たちとその周りにいる生きとし生ける物たち。


その目的を知るものは 宇宙を動かしているおおいなる

叡智

 

“だから、もう 他の誰かに、何かに 振り回され

なくていいよ。

周りから褒められたいと思うのも、もうやめようよ。

 

周りの評価を待ち望むのは、死に向かって進むようなもの。

人を思い通りに動かそうとするのもやめよう。


たって、あなたはその人の本当の目的を知らないのだから。

他の人の思い通りにするってことはね、


その人の記憶の鎖をあなたの首に巻きつけるようなもの。“

 

 さて、モーナ女史は 本来の命に回帰するとき、人は

アイデンティティー” を持つという表現をしている。

 

“‘私はわたし’ と体験認識すること、

それが自分の”アイデンティティー

と定義したうえで、以下のように語る:

 

“はじめて、アイデンティティーをもらったその時から

何度も何度も人は生まれ変わってきた。


肉体の死を迎え惑星@の住人だったころ

ケンタウロス星座の周辺を守る宇宙船の隊長

あったころ、


他にも、

こんな風に何度も生まれては死に、また生まれたんだ。

 

繰り返してきた中で、あなたの意思の部分は 

ありとあらゆる選択をしてきた。


意思が下したそれぞれの選択の結果、思い出、

感情、問題といった形であなたの中で積み

重なってきたものがある。

 

それが今、この瞬間、あなたが体験している

ことなんだ。“

そして自分の内側の“わたし”に気がついたとき

本当の命の自覚に目覚めるのだ。


永遠の命だ。

 

“永遠は、あなたの中でいつだって息づいている

わたし’がほんの一瞬 現れているとき感じる。


わたし’が‘時’をつくる。

一瞬の中に‘時’が存在する。“

 

その一瞬は 一瞬にして永遠の‘時’ともいえよう。

時を超越してなお、時を意識させる、それが

わたし’のいる時点でのできごとだ。


そのことを女史は以下のように表現している。

 “‘わたし’の中に永遠がある。

時間を超えた永遠に‘わたし’が 一瞬姿を現す。“


その‘わたし’の居場所はどこだろう? 

それこそが、冒頭に書いた 般若心経と共通する概念、


空=永遠の命であり 色[物質)の存在の原点。


モーナ女史も、それを以下のように指摘している。

 “‘わたし’の家、

それは。空、無限 と呼ばれるところ。


あなたの存在が始まった場所。

だからあなたは無限の中にいるのだ。


それ以外のところには存在しない。

戻っておいで。

‘わたし’のところに。‘わたし’の中に。“

 


参考)

”叡智のしずく”  

モーナ・ナラマク・シメオナ著 

SITHホ・オポノポノ アジア事務局発行  2012年

 

 

 

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