自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

モーナ女史のいう、‘わたし',は ’ほんとうの”あなた’

2014年02月23日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”


  

・・・朝の公園にはまだ雪が残っています。鳩たちと共に。

いつもの仲良しの鳩たちが集まってきます・・

 

 モーナ女史の詩から    2014・2・23
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般若心経の中でいう、時空を超えて存在する空(くう)の実存

わたし’という真の自分が存在していることをモーナ女史は詩で

表現している。

 

わたし’が大我なら ‘あなた’と表現されている存在は 他者という

意味というより、自分の中にある、自我意識やエゴ意識、または、

小我と理解できそうだ。


たとえば以下の詩の中に その区別が現されているように思う。

 

“‘わたしは いつどんな時も あなた に会える

わたしはあなた を感じ、ちゃんと触れている。

決して見失うことはない。

わたしは決して あなたを見捨てはしないということを

あなたは知っている。

 

いつも心のどこかで感じていて、わたしの息づくこの宇宙の中で、

どの瞬間もあなたは輝いていることを。

 

わたしからあなたは始まった。あなたのことは全部知っている。

今もいつも、これからも、ずっと一緒にいるだろう。

 

あなたからわたし’のもとを、去って行っても、あなたはわたし

の腕の中にいる。

今も、過去も、これからもずっと。“

 

最後のパラグラフはヒマラヤの大師たち、あるいは 覚者の教えと

重なる。

それは”わたし”なる存在が 神と定義したうえで、こう述べている

ことからわかる:

 

“人が私から去って行っても、私はいつもそばにいる。

人が私に数歩近づこうとすれば私はその何倍も彼に近づくのだ。


いつも去ろうとしているのは人のほうだ。

私から一度として 去ろうとしたことはない。


なぜなら、私はその人の細胞の隅々にまでいきわたる、

その人自身も周囲もすべてに満ちている存在に等しいからだ。“

 

こうしてみると、 大我意識は神聖意識でもある。

神聖意識は 神的意識でもある。

次のモーナ女史の詩には ‘時の砂漠’という題がつけられている。

 

“あなたは 何憶年もの間、時の砂漠を彷徨ってきた。

あとどのくらい、その長くつらい旅を続けるつもり?


あとどのくらい、ゴールのない流離いの旅を続けるの?

あとどのくらい、命の水を飲まずにいられるの?


あとどのくらい、愚かで 強引な考えとやり方で周りの

大切な人までもつらく痛々しい旅路に巻き込んでいくつもり?

 

なんと愚かしいこと。あなたはまだ、その愚かな旅を選んでいるの?


あなたは自分の人生に愛も平和もないのは、何故かと問う。

人生がどうして自分にだけに、こんなひどい仕打ちをするのかと問う。

否。

あなたに、この現実を無理やり与えようとしている存在など 

どこにもない。

わたしは、あなたを‘自由’そのものとして この世に送った。


自分から、自然とわき起こる傷みや恐れ怒りや敵意を、人のせい

にするのは もうやめよう。

明日が見えなくなるような責める言葉は もう聞き飽きた。

 

あなたが原因、あなたが創造する自由をもち、あなたがそれを

選択しただけ

‘わたし’は待つ。あなたが造りだした混沌を手放し、再び平和を

創りだすのをわたしは待とう。


憎しみと敵意のない砂漠に、あなたが愛の花を咲かせるときを。

“(引用終わり)

 

私たちは、自分の思うまま創造する‘自由’を与えられている。

だから、今 起きていることの原因は、それを創りだした自分で

あるとここで モーナ女史は言う。

さらに具体的にモーナ女史は述べる:

 

“しっかりと、今を受け入れて。他者に八つ当たりするのはやめよう。

罪のない子供たちに八つ当たりなんて絶対にしないでほしい。

子供たちにすることはわたしにするのと同じ。

 

 あなたが抱える罪や敵意、くだらない、がらくたがあふれる中で

他人を正当に裁くことは、不可能だ。


これはすべてあなたから始まったこと。

周りを見渡して、あなたが目にするすることすべて自分で造りだし、

引き起こし、受け入れてきたものなのだ。

 

あなたが、目にするものが、愛と平和なら、それはあなたが

造りだした。

あなたが眼にするものが、憎しみと敵意なら、それもあなたが

造りだした。

 

人生はまるで、創造と原因のゲームのよう。

あなたが造り主。

あなたの人生の原因はあなた。“(引用終わり)

 

人生舞台裏の制作監督、演出者が自分であることに、気がついて

いる人は多いだろう。

プロデュースして演出するのが自分なら、途中で芝居の道筋を

変えたり、演技によって、同じシナリオでも、プロットが様々な

解釈に、変わるだろう。、

 

悲劇的にも、喜劇的にも、演出できるだろう。

人生舞台は、悲劇より喜劇が望ましい、喜劇より、ハッピーエンド

の劇がベストだ。

 

そして、最後は自分(あなた)が‘わたし’と一体になって、演出家も

脚本家も手出しのできない、完成された芸術劇場で、自由自在に

好きなように、自由意思で演技しながら、すべて則(のり)を超えず

円満調和で、観客も自分も一緒に楽しめる人生劇場になれば、

最高かもしれない。

 

 

 

参考)

”叡智のしずく”  モーナ・ナラマク・シメオナ 

SITHホ・オポノポノ アジア事務局発行  2012年

 

 

 

コメント (3)
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