自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

自殺者も天国へ*ゴッホの例

2015年10月08日 | 健全生活のために”死”の常識を反転



広島・長崎原爆で亡くなった人のあの世での評価?  

2015・10・8

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私たちは”自分”を”物質的な要素で構成された身体”

と同一して

”その肉体”が灰になれば”死んで無になる”と思っている

人が大半だと思う。


こんなエピソード(フィクション)をご紹介しているのは、

実存する自分は ”肉体の外”にいて、”今の生”の自分は

何かの目的のために”この肉体”を借りて生きていること


そして、”実存する自分の魂”が実は その”今の生”の舞台を

前もって決めて生まれてきたということ・・・を上手に

表現しているからだ。

 

この魂は、最後に天使たちから、‘次の生の死について’

選択を迫られる。


次回の人生予定では、こんな体験をしてみる?というように・・

たとえば、

自動車事故? 

コカインの過料摂取? 

失恋させた相手に殺される? 

ベランダから偶然に落ちてきた落下物にあたって死ぬ? 

溺死? それとも自殺?


人生テストに点数がつくとしたら、火あぶりの刑など、

苦しみが大きいほど、得点が加算されるという。

 

500点という加点があるので、火あぶりされたカタリ派

(1112世紀の黒魔術、いわゆる魔女)の多くが 輪廻転生の

サイクルを終わりにすることができました。” 

 

現代では、それに代わって冤罪など 

“無実の罪で電気椅子に掛けられた人”、

癌患者で“全身に転移した場合は”300点以上の”加点になる

という。


これは物語上の話だが、実際、自ら命を絶つより、他者

を助けようとして殉死した魂は、加点が高いのも納得できる


語弊があるかもしれないが、広島長崎で犠牲になった人達も、

きっと、天国で極上の加点を与えられているような気が

してならない。


むごい原爆の犠牲になることで世界の人々に平和を、

核兵器放棄を、戦争反対の大きなメッセージを 後世に

ほぼ半永久的に、残してくれたからだ。

 

生命は永遠だと、賢者はとく。 

肉体は一瞬にして奪われてもそこから脱した瞬間 

生命は文字通り生きた命として違う形で

復活するという。

犠牲者の方達は 熱い地獄のような火の海から 

愛の手で天上に引き上げられる瞬間

すでに苦しさは取り除かれ、安堵と平和の中に 

天使たちに誘われて天国に上るヴィジョンが

私の脳裏にははっきり映る。

 

さて、話を基に戻すと、選択を迫られた“魂”は天使

にこう答える:

“わたしは加点はいらないから、さっさと死にたいですね。

夜寝付くときは生きていて、

朝おきたときこと切れているとか・・”


それに対して天使は

“残念だが、ドチュウ―さん(須田注:この魂の名前は 

ドチュウ―だった)

あなたの現在の得点、マイナス230点ではそれほど快適な

死を提供できません。


次回の生の 死に際はどちらかというと、暴力的な

ものにしかならない。

それも、あなたの描いた絵画作品に、何らかのオーラを

与えるものになるだろう“

 

ここで天使は一人の有名な画家の名前を出す。

ヴァン・ゴッホだ。


力強いタッチで原色に近い色を選び、点描したその絵は 

有名な“ひまわり”の作品をはじめとして、同じ印象派の

ルノワールやモネなどと、異なる“情熱”を示している。


彼は極めて多くの作品を残し、名前も世に出ないまま、

作品を、姉に託して死んだが、当時はほとんど評価されず、

姉もがらくたをもらったぐらいしか思っていなかったようだ。


現代では、億もつく単位で売買されるようになった彼の絵は、

数奇な運命をたどった天国にいるゴッホの目にどう映って

いるのだろう。

 

天使はこうつぶやく

“ゴッホは良く描いた。多く悩み、苦しみ 死んでいった。


しかし彼は純粋な霊に戻り、苦しみの生で600点加点されて、

輪廻転生のサイクルを終わらせることができたのだよ。”

 

その真偽はわからない。

ゴッホは自分の耳をそぎ落とした。

たぶん、うつ状態から統合失調症的な精神状況で苦しみ、

悶々とした最後だったのだろう。


自画像をみると、鑑賞者を見つめぬく瞳には、深い湖の

暗さの中の鋭い閃光を感じるようだ。

余談だが、ゴッホは私の最も惹かれる画家のひとりだった。

 

オランダで、彼の作品を掲げた美術館を訪れ、ゴッホの

揺らぎ多いがゆえに求めた“光”が随所に輝く多くの作品に

触れ感動した。


この“光”こそ、モネやマネ、ルノワールの平和な光と異なる、

異色性をもつ、美と狂気の両極端を揺れ動く“人間の魂の幅”

を示したものだと感じた。


だからこそ、多くの人たちを魅了することもうなずけた。


私たちは どんな人間でも、結局“光”を求めているのだ。

太陽の、月の、心の、そして本来の人間の細胞原子のミクロ

の世界にきらめく生命の光を。


その”光の点”を描き続け、それを見る人達に 生命と

生きていることを感じさせるエネルギーを与えてくれた

彼の功績は、確かに大きなものがあったのだと思う。

 

話がそれてしまったが、ドチュー氏は 結局 “自殺”を

選択した。

カミソリでバスタブのぬるま湯で動脈を自ら切る~

という選択だ。


天使はまとめる。

では最後に。

あなたは次世で、女性として生まれ、体力は下、

美しさは上、視力は上、声質は中、カリスマ性は特上、

ウイットは下、嘘つく才能は上、技術は下

(たとえば、洗濯機の操作が上手くないとか運転が

下手だとか)、

知性は中、誘惑能力は上、忍耐力は下、根気は上、

料理才能は下、怒りっぽさは上、楽器演奏能力

は下、ピストル射撃能力は上、スポーツ志向は下、


出産願望は中、喧嘩の才能は上、泣き真似の才能は上、

冒険志向は下・・・“

 

 これは、この魂が次に生まれてきたときの性格や人生

に影響を十分与える資質である。


こうしたことまで決める必然性はあるのかどうか・・・?

ちょうど、それは、演出家が、ドラマの登場人物の

役柄を設定するにあたり、明晰にその役柄を演じる

役者が演じやすいように細かく‘実際存在しているが如く“

リアル性をだすために描写するのに似ている。


だから、私たちの性格が、多少ひねくれていても、

欠点があっても嘆くのに値しないということかも

しれない。


こうして 今の生を生きるにあたって、身体的、

精神的ハンディーを持ちながら、

舞台を演じるための”人柄”まで決めてきたのだ

としたら。


そうした設定された役柄を演じながら、どこまで、

自分の人生の使命を全うできるか・・


そこに集中することがこの劇の完成度を高める秘訣の

ような気がする。

 

 引用部分 

 “タナノート” ベルナール ヴェルベール、日本放送出版協会、1996

 

コメント
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