あの世に行って、”すべて良し”の意味 12月24日 2023年
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前回の続きです。
何故、アートマ意識を、娑婆世界に生きている私たちは、
感じられないのか?
という疑問です。
ヴェーダでは、こう説明しています。
その理由は、肉体を持っている間は、この真実を見る眼が、
二元論という常識(二つの対照的な事象は存在するとする
考え方)に、おおわれているからだというのです。
ところが、肉体を去ったとき、誰にでも、忘れられた
感覚が呼び戻されるように、アートマ意識を体感
します。
何故って、本当の自分の本髄は死後も継続して、
残っているからです。
その時、あちらの世界の 光に満ちた愛の温かさ
と安寧を実感できるといいます。
私も、貴方も、それを、すでに、体感しているのですが、
この肉体を持っていると、まるで記憶喪失のように、
忘れ去られているかのようです。
このことは、体験者(死後の世界から戻った人たち)
からも、聞いています。
さて、クリシュナが説くには、
死んだ瞬間、その時、敵も味方も存在しないので、
相手も自分も光の中にいると、実感するそうです。
そして、肉体世界に生きていたときのそれぞれ、
憎んだり、憎まれたりした、演じるべき役割を
ねぎらう気持ちになるといいます。
ギータの最後の最後の章には、闘い終わって
あの世に行った兵士たちが、役割を地上で果たした
同士として肩を抱き合うともいうシーンも
描かれています。
次の場面は、アルジュナが闘いに挑み、へっぴり腰
になり、弱気になっているのでクリシュナが
声をかけるところです;
”だから、アルジュナ、この闘いに従軍せよ。
或る者は、我々の実質が相手を殺し、
殺されると思うが、それは真実を知ら
ないからだ。
我々の内奥に住む実質、
これをthe Atoma(アートマ)とよぶが、殺されたり、
殺したりするものではない。
アートマは生まれたこともなく、死滅する
こともないから、〝無い”ということはない。
太古の昔より存在し、今この瞬間にも存在している。
たとえ肉体が殺されても、アートマの消滅はない以上、
一体、誰が殺す者で、誰が殺される者になるのか?
われわれの本質は、この古くなった肉体を棄て
新しい服(肉体)を身に着けながら存在している。
武器によって破壊されるか?
火によって燃やされてしまうか?
水に湿ってしまうか?
風によって乾いてしまうか?
この実質的存在は切られたり、焼き尽くされたり、
ぬれたり、乾いたりはしない。
破壊されることがないのだ。
常に存在し、あらゆるところに、確固として存在
している。
五感感覚を超越しなければわからない。
頭で理解するには無理がある。
何にしても、変化衰退、無常なものではないのだ。
これを良く理解すれば、(戦いを前にして)
意気消沈することもないだろう。“
(2章17~25)
こうしてアートマという実態が少し、垣間見る
ように、クリシュナから教えられます。
変化衰退、無常な世界に生きている、私たちには、
この肉体的感覚で捕らえることはできません。
でも、自分の中にある、アートマを見据える訓練を、
日頃していれば、誰にでも、その意識と共に、
無常世界を生きることは可能なことです。
特に、健康増進したいかた、薬を減らしたい方、
には、この内観をお薦めいたします。
誰にでも死期はあります。
それまで、健康に生きていたい、ならば、自分の
アートマを良く知ること、が、一番の秘訣である
と思います。
そのあたりを、もう少し、詳しく、次回、お話させて
いただければと思います。