自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

誕生日に寄せて

2023年12月28日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方
今日で、古希プラス1歳  2023年⒓月28日
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働き盛りの頃(40代50代の頃ですが)、70代の自分なんて雲の上で、
想像つかなかったし・・・想像したこともなかったのですが・・・

このブログの左側(PCの場合)のプロフィール写真は去年の写真ですが、
若い頃より、筋肉以外に、メンタルの何かが、落ちたような気がします。

そういえば、50代半ばから、家族の介護と、数千万円の親の残した
借財の返済責任、が続き、昨年9月、介護していた夫を看取り、心身
余裕のない日常生活が15年間、続いていました。

当然、その間の”私”は、介護生活の中から生まれる諸問題、家族親類関係、
などに、煩い、悩み、執着して、悶々とすることが常でした。

今にして思えば、そういうときは、心がトゲトゲしくなっていて 無意識に、
多くの人達を傷つけるような諸語所業をしていたと思います。

🙇ごめんなさい・・・

それでも、自然治癒力セラピー協会のブログの掲載と、アートマセラピーを
施術してこられたのは、周囲の人たちの理解と愛情のおかげです。

そして、協会関係のお仕事は、もう一人の私(アートマ)の自覚を奮い起こし
活性化につながり、そのうえで指導霊の存在があったからこそ、続けられて
きたと思います。

そして、誕生日の一週間前から、悶々と悩むことの多い日常生活の中で、それを
超越して、カルマを消し、浄化させて、周囲と和と協調を生み出す、こんな”祈り”
が天から届きました。

悶々とするって、メンタル、スピリチュアルに見ると、どういうことか?
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①悶々と悩むときは、’自分は傷ついている’ と、自覚しています。

②’自分が傷つく’理由は、二つあります。
一つは、過去に傷つけた相手に対して、そのカルマ清算のためです。
もう一つは、自分の価値感や相手への期待に、相手が反した行為をした
とおもうときです。

③前者なら、これで、帳消しになったと考えて、相手にそれ以上の、怒り
を抱かないこと。

そうでないと、自分が新たに、また、カルマの種を撒いていくことになり、
堂々巡りで、傷つかせたり、傷ついたりの、関係が収拾できません。
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心って、複雑なミルフィーユのように、折り重なった層になっています。
体験とともに、積み重なった感情が 地層のようです。

その心の層に、過去の価値感や、正義や、真理が折り重なってます。
それが、”今の自分の価値観”になってます。

それは、’これは、こうあるべきだ。’という、思い込みを、時として生み
出します。

そして、それにそぐわない、他者の行為や言葉には、期待を裏切られたと
同時に、ある種の怒りが生まれます。

その”怒り”が曲者です。
その怒りを、浄化しない限り、生まれ変わってもまた、同じようなことを
体験する(カルマ)を造るからです。
その怒りが、その人に、’傷ついた’という感情をもたらし、それがカルマの種
となるわけです。

では、そんな時、どうしたら良いのか?
それが、これからご紹介する、浄化の言葉です。

言葉の力で、自分の心の地層の中に埋もれている、エゴ的な価値観や正義感など
を取り払えば、本来の純粋な自分の心が現れます。

その時は、悶々と悩む自分では、なくなります。
むしろ、悩ませてくれて、ありがとう!と、愛念さえ、湧いてくるのです。
本当の自分の心は、愛 だからです。

その言葉とは・・・

”私は、平穏です。愛です。幸福です。これが、私の本質です。

私は、平和です。
平穏と愛とエネルギーパワーは、誰も、何も、私から奪い去る
ことはできません。

私は、平穏と愛と、生命力を、会う人と分かち合います。
それが私の本質です。

どんな状況でも、私は、平穏と、愛と、エネルギーをもって対処します。
だから、どんな状況でも、シンプルにことが進んでいきます。
それが、私だからです。


こうして、断言し続けることで、本当の自分(アートマ)になれます。
アートマを軸にして、日常生活を営めば、カルマ的妄想(古い過去の正義感や、
倫理観、思い込み的信念など)が、出る幕がなくなるのです

なぜって、そうしたものは、本来、実態のないものだからです。
実態のないもの、という意味は、死んだら、肉体とともに、葬り去られる
ものだからです。(ただし、カルマの種は生まれ変わって浄化されるまで、
残るでしょう。)

私はこれまで、”傷つけられる”行為には、傷つける対象がいると心のどこかで、
思っていました。

でも、この祈りの言葉を日課にすることで、”傷つけられる”というのは、
ある意味、自虐行為に過ぎないのだということを知りました。

自分しか、自分を傷つけることはできない”と知りました。

さて、この宣言の祈りが、私への素晴らしい、守護霊からの誕生日プレゼント
でした。

とはいっても、肉体を持って生活する限り、沢山の価値観を持つ人たちと
出会う限り、これからも、まだまだ、執着や悩み、傷つくという状況は、
否めないでしょう。

そのたびに、この ’本来の私’を宣言する、祈り(祝詞)言葉を口に出して、
瞑想をすることにしましょう。

こうして、若さを保ち、エネルギーの新陳代謝がすすみ、自然治癒力も常に
働いていれば、健康が維持されて、愛情や、生命力を、周りの人達と共有
できる喜びも得れるのだと、思っています。







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