自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

イスラムのいう、真の人間になるということ

2015年03月18日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

形而上的癒しの根源~イスラム教から(2) 

2015.3.18

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 前書き)

30代の初めからインド生活においてのほとんどの時間、

私はイスラム教に入信していた。

(あるきっかけがあり、イスラムの宗教的行事に参加する

ことはなくなった。)

その間、メッカに行き、ラマダンには、断食をし、

日々5回の祈り捧げていた。

数年かけて 中東に各地に残されたイスラム教の

五大聖地いわれる場所(モスク)にはイスラエル・

シリアを含めすべて巡礼した

 

こうして、キリスト教、仏教、神道、ヒンズー教など

様々な宗教の門を、真理を求めて、たたいてみたが結局、

すべての宗教は、一つの”心の宗教”、帰一するのだ

ということを学んできた。 

イスラム教はヒンズー教同様、日本国内にいてはなかなか、

理解できないのかもしれない。

外地(現地)でより、その真髄を体感出来うる宗教のひとつ

かもしれない。


イスラム教の愛、倫理、人生哲学、智慧、信仰と運命など

の考え方を、これから数回に分けて、簡単だがお伝えしたい。

そして、最期に自然治癒力との関連に触れられればと思う。

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スーフィーの聖人、メヴァラーナは、次のように言う。


“天地創造の精髄も、現世における、肉体もすべての創造物は、

当時と切り離されたものではなく、その本質で繋がっている。

つまり、愛のみが繋げているものである“


愛のない生は、意味がないとまで断言した。

“運は気まぐれ、友にもなれば敵にもなる。

けれど愛は常にあなたの友であり続ける。


愛なくして生はない。

それを生と呼ぶのなら、愛なくして生には何ほどの価値が

あるというのだろうか?“


先回のテーマとして、’愛とイスラム教’ついて触れたが

今日は’人間の本質’についてみてみたい。


イスラム教聖典クルアーン95章4節に以下の言葉がある。

 ”本当にわれは人間を最も美しい姿に造った ”

この一節を取って、メヴァラーナは次のようにうたう。

 

”創造の目的はただ一つ、人間のために他ならない。

人間の吐息一つにも、その魂ほどの価値がある。

抜け落ちた髪一筋にも秘められた財宝がある。”

・・略・・

時には天使ですら、われらの無垢をうらやみ、時には

悪魔ですら、われらの蛮勇を恐れて、逃げだす。


泥土で練られたわれらの肉体、だが、その内側には

神の信託がこめられている”


メヴァラーナは 人間自らの価値を確認して、内奥を探求

することで真の【人間】になる’と考えた。

続いて、メヴラーナはいう:


“生命の奥深くに眠る魂を探り当て、あなたの導きとせよ。

肉体という名の山奥深くに秘められた財宝を、探り当てよ。


探求者よ、能う限りの力を持って、必ずそれを見つけ出せ。

外ではない、あなたの内側、あなた自身の中にこそ

あなたの探し出すものが見つかる(四行詩篇22)

 

イスラムでは、ヒトには、地上における神の代理足りうる

能力が与えられていると、考える。

神の代理とはどういうことだろう?

 

神の地上における権限の”具現を任されたもの”と

言う意味だ。

一方、人は、朽ちる肉体を持って生まれる。

本質的人間をイスラムではどう見ているのだろう?


キリスト教でもイスラムでも人間は、泥土をこねて

作られた価値のない創造物であったとき、神自身が吐息

を吹き込み、創造の目的にかなう存在になしたと

信じられている。

しかし、”本当の自分”はそうした物質的なモノの中にないと、

中世トルコのイスラムスーフィー派では捉える。

 

だから、メルヴァーナはこう詠う。

あなたは水でもないし、石でもない。 

何か特別なものだ。


あなたは旅の途中、もはや、泥土の世界から遠く離れた。

その体には形作られた灌漑(かんがい)があり、あなた

の精神はその中を永遠に流れる水に等しい。

けれど、あなたはそのことに気がつかない。

自分の自我に固執している限りは。“

 

”小さな自我”と 神がご自身の精神性を、人型に託した

存在を”本来の自分”と思う意識は、違うという。


自我を滅せよ とはすべての宗教の教えの’根本的課題’。

メヴァラーナは、自分の本質に目覚めない限りは、

小さな自我から脱却することはないとする。


イスラムでは、自分自身の中を流れる永遠のスピリット、

泥土という現世的な価値観をはるかに超えた、本当の自分自身

見出すために、小さな自我を打破せよ説くのだ。

 

”外見に囚われれば、何を知ることもなしに一生を終える。

あなたは、ただ知ったつもりでいるに過ぎない、“

 

外の器に目をやる限り、器の内側にある真の価値に

気がつかないだろう。

だから次のフレーズで、メルヴァ―ナは再三、忠告する


 “自身の内側に還れ、あなたの内側を、良く見るが良い。

そこにあるのは、【真の人間】の姿だ。“

 

預言者ムハンマド【モハメッドの事】は、膨大な量の

ハディース(伝承された言葉)を残しているが、その中に、


“理性が欲望を制御できず、欲望に理性を蹂躙させる

であれば、その者たちは、獣よりなおたちが悪い”

と言う言葉がある。

 

メヴァラーナは、この言葉をさらに引用して、独自の

考え方に発展させた。

それは、あらゆる生命は次の段階のどれかに当てはまる

いうものだ。

 

*第一の段階 

完全なる理性、知識、純粋さをかね備えた領域。

天使の領域とも呼ばれ、ただひたすら、神を賛美し、

崇拝し、神の愛を感じ、それに感謝と喜びで答える

ことが彼らの一番の喜びである。

その他のことは彼らにとって、知る由も無いことであり、

知る価値もない世界であるのだろう。

 

*第二の段階

獣の領域。

与えられた餌 を むさぼり喰うことが唯一の楽しみであり、

家畜同然の領域である。

彼らには、その他のことは念頭にないため、神への崇拝、

畏敬、慈しみ、懐かしさなどの気持ちない。

 

*第三の段階

半分天使、半分獣の性質を兼ね備えたものの領域。

つまり、イスラムで考えられる アダムとその子孫で

ある人間の領域でもある。

 

獣としての彼は、低い欲望のレベルに引かれ、理性に

よって、軌道修正をしながら、残り半分を占める、

天使の領域の性質がなせる業といえよう。

 

イスラムの人間観、それは、動物、悪魔、天使、崇高な

慈愛のすべてを兼ね備えたものしながらも、

その魂の奥にある、神の息吹、つまり、神聖さを自覚する

ことが人生の大きな演目となっていることも見逃しては

いない。

 

人間の霊魂は、こうした悪と善、天使と悪魔の間を

揺れ動きながら、結局、“神へと引き寄せられずには

いられないいうわけだ。

 

だから、クルアーン27章72節が、それに呼応している。

“高貴な者とした~と神は告げた”とある様に、どの人間

にも必ず備わっている高貴な特質を、特に強調した。

 

メヴァラーナは その高貴な者として造られた人の

本源を 内面の本質と理解し、小さな自我を消滅させる

ことで 真の自分を見出そうとしたのであった。


 

参考;“JALAL AL-DIN AL RUMI’  

A Muslim Saint, Mystic and Poet 

Original title; Mevlana Celaleddin Rumi

Written by Prof.Dr.Emine Yeniterzi

Translated to English 

by Prof.Dr.A.Bulent Baloglu

日本語版 神秘と詩の思想家 

メヴァラーナ 

トルコ・イスラームの心と愛

2006年 丸善プラネット株式会社 

訳 西田今日子

 

 

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