ヴィシュヌデヴィとの縁はこのアパートをゲットする時からあった?
のかしら~の巻
2018・6.10
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これほど奥深まった地、高い峰を超え、昔は、多くの難関を
潜り抜けて到達できたであろう、標高2000メートル以上の
山の一角の岩屋の寺院になぜ、多くの人々が古代より訪れ、
信仰が絶えることなく、女神信仰のメッカになって
いるのだろうか?
色々な説が残っているようだが、一言でいえば、誰もがここに
参拝に来た折り、巡礼道の此処かしこに、目に見えぬ、“女神の力”
(Shaktipeeths)を感じ取るからかもしれない。
私自身、このそびえる山を、ジャムカシミール飛行場から現地に
いくまでのタクシーの中から発見したときは、正直、その険しさ
それまで、せいぜい高尾山を、遠足で上った思い出があるだけで、
体力的にも精神的にも、眼前にそびえる海抜2000メートルは
超えていそうな、山の頂上を見て、その近くの寺院に上る自信
は砕けそうになっていた。
しかし、実際、上り始めて、4時間経過して、周りの空気が
希薄になるのを感じながら、頂上近くにいたとき、次の朝に
”もう一度、日を改めて上りなおそう、
次回はサリー(印度女性の正式な服装)をまとって、女神に
挨拶に出直そう”と考えていた事自体、すでに、
シャクティ(女神の力)の後押しがあった
証拠かもしれない。
少し前に、このことは、詳しく、ブログに書かせて
いただいたので、簡単にお話させていただく。
現地に着いた翌日、一度目の登山を試みるが、山に入る
許可証、山に入っての数回の検閲、所持していた
携帯電話すら、ロッカーに預けなければならないといわれ、
そのロッカー待ち・・
すべてに長い行列の後ろに並ばざる得ないほどの、人だった。
それだけで、すでに相当のエネルギーが消費されて、肝心の、
参拝時には疲労感は限界に達していた。
道中、心の中に、声なき声が走った。
‘もう一度いらっしゃい。サリーを着て・・“という(女神からの?)
メッセージを、 心に受け取り、一日目の参拝を終えてホテルに
戻った。
私は、二度目の参拝の準備に向けて手順を整えていた。
そして、その2度目の登山。
一度めの巡礼と異なり、身体チェックや神殿拝観パス取得
の列に並ぶことなく、登頂まで、不必要なエネルギーや緊張を
費やさずに、スムースに事が運んだのは、女神のご招待ゆえ
と勝手に想像した。
こうして、聖なる岩屋の寺院に到着できた。
さらに、一般参詣者が、一息(ひといき)ほどの、短時間の
ダルシャン(女神に手を合わせ祈ること)が赦されている中、
私の番では、数分の時間をかけることが赦された。
その間、神官の説明やら、ご神体の拝観時間をいただくと
いう、特例となった。
二度目の参拝で、こうして、聖なる岩屋の中の深淵な空気を
胸いっぱい吸い込めたことは、やはり、女神からの招待を
受けての巡礼かと、納得したものだった。
さて、今回の巡礼の旅では、まだ、話題に出ていなかったが、
実は、女神参拝をした後、もう一つの寺院を参拝した。
そこに立ち寄らなければ、女神からの真の功徳はないという。
バイローババ という本尊を祀る寺院。
何故、ヴィシュヌデヴィを参拝したあと、神様でもない、
バイローババ の所に寄るのか?
そのお話を今日はさせていただきたい。
前のブログの続きとなるので、内容を理解していただくために、
できれば、前回を読んでから以下の続きをご覧いただければ幸いだ。
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ラーマ皇子の予言どおり、ヴィシュヌナヴィの栄光は広く
遠くにまで及んだ。
人々は大勢、彼女の瞑想する岩屋に祝福を得るために群がっていた。
時は移り変わっていった。
ある時、ゴラクシ ナタ 師(Goraksh Nath ji)と呼ばれる
偉大なるヨギは、昔から伝えられてきたこの話の光景を
夢の中でありありと見た。
そして、今、ヴィシュヌナヴィは果して、高い霊的レベル
に到達しているのかどうか知りたいという好奇心に
駆り立てられた。
そこで、彼の一番弟子である、バイロン ナス(Bhairon Nath)
にその真相を探りに行かせた。
バイロンが洞窟に着くと、ヴィシュヌナヴィを密かに観察した。
すると、ヴィシュヌナヴィは、弓と矢を常に身に着け、そばには
猿たちや獰猛そうなライオンがいた。
バイロンはヴィシュヌナヴィを一目みて、この世のものでない
美しさに心を奪われた。
そして、良識を忘れ、自分の役目も忘れて、ヴィシュヌナヴィと
結ばれたいと強く願った。
外では食事の用意が信者たちの手で進み、村中の人たちや
偉大なヨギ、ゴラクシとその信者を招いた宴会の準備が
できていた。
バイロンはヴィシュヌナヴィの心をつかむため、様々な
手法で、アプローチをするものの、それらの努力は水の
あわのように効果はなかった。
一方、執拗なバイロンの誘惑を拒み、ヴィシュヌナヴィは
山の中に逃げ込もうと席をたった。
バイロンは彼女の跡を追い続けた。
ヴィシュヌナヴィは、やっとのことで、多くの峰を
通り抜け、(現在神殿が置かれている)山中の岩屋に
姿を隠した
。
追い続けたバイロンは、最後の砦にまで姿を現すと、
女神(ヴィシュヌナヴィ、つまり現在のヴィシュヌデビ)
は、身を守るためには、彼を殺すほか手段はないと
追い詰められた。
洞窟の入り口で、女神は彼の首を打ち取った。
はねられたバイロンの首は、離れた丘の頂上に落ちて行った。
命が切れる寸前、首の無いバイロンは気が付いた。
自分に与えられた役目を思い出した。
そして、師の命令を無視して、自分の欲望に我を忘れたことを
悔やみ、神に対し、赦しを乞いた。
その悲痛な後悔と、悔い改めたいというバイロンの祈りの
波動は、至高の女神(ヴァシュヌナヴィを生んだ女神たち)
にまで届いた。
女神たちは、哀れに想い、慈悲をもって、次のように
宣言した。
“女神を信じる者たちよ、あなたの願をかなえたければ、
女神の寺院に詣でた後はバイロンに会ってから
(バイロンが祀られた寺院を詣でてから)立ち去るがよい。
そうすることによって、あなたの巡礼の目的が完全に果たせる
ことだろう”
バイロンの寺院は、ビシュヌデヴィ寺院から、3キロほどさらに
登ったところにある。
その後は、ヴィシュヌデヴィ女神を参拝した後、多くの信者
たちは、バイロンの寺院に詣でるようになった。
一方、ヴァシュヌナヴィはこのバイロンの事件以後は、
美しすぎる女性としての、人間の姿を葬ることにした。
そして、一つの黒い石を彼女の顔面に見立て、シンボルとする
ことで、魂は、半永久的に瞑想して至福の中に包まれている
という。
その魂こそ、深淵で’オーム’と空気が震えて音を出している。
岩屋の寺院の洞窟に 今でも満ちているかのようだ。
ドルガ女神(ヴィシュヌデヴィ)は 必ず、ライオン、もしくは
虎にまたがっています。
後記)
さて、とりあえず、ここで私のインド旅巡礼手記は終わりです。
もう一つ 余談ですが、冗談のような名刺を古い鞄から、
見つけました。
ヴィシュヌデヴィの名前の不動産会社の名刺です。
来月、いよいよ、インドのアパートの荷物を処分です。
そのための、書類を整理していたら、当時の不動産屋さん
の名刺が出てきました。
この不動産屋を介して、今のアパートに住む事に
なったのでした。
その不動産屋の名前は、
”vishunu navi property : sweety DiDi" でした。
”ヴィシュヌデビ女神不動産”です!sweety Didi とは、
優しく導いてくださる女神様 といったところでしょうか…
この不動産の社長が ヴィシュヌデヴィの信奉者
であったようです。
色々なインドの聖地に、このアパートを拠点として
行きましたが、最後の巡礼の旅がヴィシュヌデヴィ寺院
であったというのは何か不思議な因縁を感じます。
そして、1人で10年以上、このアパートに暮し、
母の介護で日本に帰国しても無人の部屋になったに
かかわらず、安全にこれまで、保たれてきたのは、
やはり、大きな力のお守りがあったような気がいたします。
ヴィシュヌデヴィ寺院のある、山の目の前の、
ホテルの前の窓から見えた、この参道の灯りの道は
心の道しるべにも通じるものがあり、
印象が深いものでした。
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