あるホテルマンの忠言 2018.5.21
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(サントシが、女神の洞窟寺院に着く前に参道にある、
最後で一番大きな茶店で、コーヒーと簡単なカレーライスを
御馳走してくれました。とても美味しかった.....)
今回の旅では、フロント係のプショッタムさんには特別の感謝をしたい。
色々な意味でお世話になり、彼のことはたぶん生涯忘れないと思う。
彼は、ヒンズー教徒であると語っていた。
本来、ヒンズー教徒には、古代からの社会的階級制度ときってもきれない、
社会的背景がある。
彼は、カシミールの現地の生まれだという。
この地はもともと、モスリム教徒が比較的多く、クリスチャンやシーク
教徒など多彩な文化が混在する土地でもあり、異なる価値観を互いに
認めながらの生活が営まれているのだろう。
私たちが泊ったホテルからほど遠くない場所に、シーク教徒のメッカ、
アムリッツァが位置している。
アムリッツァには、シーク教徒の総本山といえる、ゴールデンテンプル
がある。カシミール地方でのシーク教徒の社会文化的影響は否めないだろう。
たとえば、シーク教徒社会には ヒンズー教徒社会のような、カーストは
存在しない。ホテルマン、プショッタムさんの言葉に、カースト制度に
対する偏見が無いことに、考えさせられた。
”過去の価値観が変わりつつあるかもしれない”と思える、一件でもあった。
話の発端はデリーでの、旅に出る前々日にさかのぼる。
インドで仕事をしている息子と共に、インターネットを通してこの旅で泊る
ホテルの選択をしていたときだった。
同行する我が家のお手伝いさんのサントシの宿泊所についての話になった。
カーストでいえば、彼女の属する階級は、最も下に置かれるそれで、文盲で
読み書きができない彼女には、トイレやふろ場の掃除という そのカースト
特有の定職以外は難しいという、社会的負い目を持っていた。
時々、ハイカーストのインド人が、我が家に遊びに来る。
彼らは、なぜか、彼女の入れたチャイは決して口にしなかったが、彼女の所属
しているカーストが原因だと知るには、さほど、時間はかからなかった。・・
老いも若きも、保守的な考え方を持つ人なら、コックさんクラス(厳密に言えば、
コックさんにふさわしいカースト)以上の人が作った食べ物以外は 口に
しないのが普通だった。
今回、この旅にサントシを誘った理由は彼女が、熱烈なヴィシュヌデヴィの
信仰者だったからだ。
毎年、4~5日間休みをとって、この寺院に参拝するのが、彼女の年中行事
だったので、現地に明るいのは心強かった。
今回のヴィシュヌデヴィの山の中の寺院というのは、国際的な観光地では
ないこと、カシミールという地域が、国内紛争やテロが多発する地域であり、
決して安全ではないことから、セキュリティーを重視して、一応 4つ星
ホテルを予約した。
一方、同室に サントシと泊ることは、息子を含め、インドに長く住んで
いる日本人たちは、反対意見を唱えた。
その理由は、まず、彼女自身が、毎年、参拝するたびに大衆的なゲストハウス
以上の所で泊ったことがないこと、よって、不慣れなホテルでは、居心地が
悪いだろうという。
次に、私の予約したホテルは、ハイカースト(中流階級以上)のインド人
たちが対象のホテルだから、デリーのホテルでよくあるように、彼女の
属するカーストが低いことが、身なりや言葉遣いで分かったときは、当然、
ホテルの門前で、はじき出される可能性があるということだった。
運よく中に入れても、チェックインの時に断れるのでは?
(インド人は、その名前を見れば、カーストがわかる場合がある。特に、
彼女の場合は苗字がなかった。)
私も迷った。そこで、20年来のお付き合いがある、インド人の政府閣僚と
結婚している日本人妻Mさんに電話して、事の事情を話した。
すると、彼女は、あきれたような声で、
”まあ、あなた、そんなに長くインドに住んでいて、召使と一緒に、
旅行したうえで、同じ部屋に泊まらせるなんてどうして考え付いたの?”
と開口一番、驚いた口調で聞かれた。
”そういう、けじめの無さが、いろいろ、使用人とのトラブルのもとに
なっているくらい、知っているでしょう?
それは問題をつくるだけだから、考えた方がよいわ。
どうしてもというのなら、現地についたら、彼女用のホテルを探すことを
勧めるわ。”
と電話口で Mさんの意見を語った。
こうして、ホテル滞在の問題が解決しないまま、サントシが、いつもなら、
電車で、18時間の一晩掛かりで行く旅路を今回は、飛行機で1時間半、
しかも、通常、バスで揺られて行くところを、飛行場からは、タクシーで
高速道路を飛ばしたので、あっという間にホテルに着き、彼女の宿泊所を
探すにはまだ、明るく、彼女をタクシーの中で待たせて、予約しておいた
4つ星ホテルのチェックインに、私は向かった。
ホテルマンが敏速に私のチェックインの事務的手続きを終えるのを待って、
私は、サントシの宿泊する適当な近隣のホテルの場所を聞いた。
彼女が、いわゆる、低いカーストであること、友人や家族の意見は、一緒に
泊まることに反対だが、私自身も、こうした体験がないのでどうしたら
よいのか戸惑っていることを、フロントのホテルマンに率直に話した。
すると、彼(冒頭のフロント係)は、隣の席でチェックイン手続きを
している、裕福そうなインド人ゲストの前で、彼らの視線を受けながら、
次のように彼は答えた;
”何が問題なのですか?
部屋には二つベッドがありますし 彼女のカーストが低いからといっても、
警察がここまで来て尋問することはありません。大丈夫ですよ。”
その簡単で、シンプルで、予想外な答えに、私は、次の質問が浮かばず、
きょとんとしていると、外の車で待っていたはずのサントシが 突然、
目の前に表れた。
”どうしたの?” と聞くと、彼女は、
”マダム、私はあなたと一緒にいたいのです。離れたくないです”という。
そのホテルマンを前にして、私も自然に言葉が出てきた。
”そうね、部屋の確認をしたら、ベッドが二つあるというから、あなたが
一緒でも問題なさそうね”とサントシに答えて、何事もなかったように、
彼女のチェックインの手続きを同時に終えたのだった。
ある意味、こうした革新的に聞こえる言葉を、レセプションというホテル
の顔ともいえる場所に座っているホテルマンが口にすることは、勇気の
あることだと思った。かつ、とても新鮮な出来事であった。
彼はまだ、20代であろうか?
”あなたはとても良い人なのですね” としみじみ彼の顔を見て讃嘆すると、
彼は心から可笑しそうに笑って、”マダム、そんなことを言ってくれた人は、
あなたが初めてです。”と答えた。
この人がプショッタムさんだった。
ところで、5日後、旅を終えてデリーに戻ると、同ホテルから、宿泊体験
感想にご協力を~とメールが届いた。
返信したところ、数日後、Trip Advisor という世界的なホテル案内のサイトから
“Congratulations! Your review has been published …”と返事が来て、私の
コメントがこのサイトに連携していて、一般公開されたことを知った。
因みに、その時の私が書いたコメント(感想文✙感謝)は以下。
Every day and night, I did appreciate the Darshan of Durga Mata di
throughthe exclusivebig size of the front window of the comfortable room,
in the sceneryof the holy mountain.
I visited India for the pilgrimage to the holy shrine from Japan, my spiritual
wishwas fulfilledwith good support of the hotel staffus; special thanks to
a receptionist Pushotom-ji......
(以下略)
簡単な訳をつけると、
”日がな一日、ドゥルガ女神と向き合えました(部屋の窓の景色が下の写真。
この明かりついた道の頂上に女神の神殿がある)
それは心地よい部屋の大きなフロントガラスの窓を通して。
日本からこの聖なる山を目指して巡礼に来た私にとって、今回、
このスピリチュアルな目的は十分に果たせました。
それは、ホテルのスタッフたちの親切な援助があってのことです。
特に、フロント係のプショッタムさんには特別の感謝をささげたいと
思います
(その窓からの夜景、前のブログ記事に書いたように、
蛇行した光の線は頂上の神殿に向かって続く道の蛍光灯)
この記事が公表された日、デリーの自宅に2度もマネージャークラスの人
から電話が入った。
記事投稿の感謝と、至らない点はなかったかということについてだった。
電話をもらうと同時に、プショッタムさんの眼にもこの記事は届いただろう
と感じ、間接的ではあったが、十分彼に礼をつくせたと思った。
カースト制度に対するデリーの私の周りの人達と、このカシミールに住む、
ホテルマンの間の温度差を感じた体験だったが、実際、サントシと同室で
不都合があったのだろうか?答えは否だ。
むしろ、24時間一緒に、彼女といることで、信仰心という神に対して
敬虔な気持ちの前では、すべての巡礼者は平等な立ち位置にいることを、
痛感させられた。
彼女は一流ホテルの中でヒギンズ博士に教育を受けた、マイフェアレディ
のごとく、私のアドヴァイスをもとに、言葉遣いを注意して、礼儀正しく
振舞った。
5日後のチェックアウトの時は、彼女よりはるかに高給取でカースト的にも
社会的にもインドでは上位の立場であるであろうホテルマンたちから、
彼女は’マダム”という敬称をつけて呼ばれるようにまで、振舞えるように
なった。
マダム サントシと、ホテルマンに呼ばれるまでのレディーに変身したの
だった。
私たちの泊ったホテル(Hotel Lemon Tree)
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