参拝したものの、もう一度サリーを着て出直せという女神の声 2018・4・11
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サントシさんと山登りの一歩、すでに色々な列に並び、体力消耗・・・
もう、くたびれた~
さて、翌日、私たち(私と我が家のメードさんのサントシ)は
8時半には巡礼の道の山の麓に立っていました。
その時すでに疲れた顔・・・というのは、ホテルから出た後、
頂上にある神殿に入るための、パスをもらうために、山から
1キロほど離れた事務所に行き、長い列に並び、自分の名前を
登録し、顔写真をとられて、小一時間要した後、聖なる山の
入り口で、再び、長蛇の列の後ろに、並びました。
察官立ち合いの検問、荷物所持品チェックなど、国際飛行場の
チェックインさながら、念入りに調べられ、ようやく、登山の
前のチェックが終わり、一歩、歩き始めた時の写真が上です。
くたびれ果ててました。
左右を見ると、日本の門前通りのように、ヴィシュヌデヴィ寺院
に続く、山道の両脇には、食堂や、土産物屋、記念写真館、中には、
巡礼を終えた帰途の客人たち用にがくがくになった足や体をほぐす
ための、韓国製のマッサージ椅子を並べた店もありました。
さらに、階段を100メートルほど上がると、馬たちが40頭ほど
繋がれていました。何度も来ている常連の参拝登山者たちは、
この馬を利用するメリットを体験済みのようです。
かなりの人たちが馬にまたがって、私たちの横を通り過ぎて行きました。
乗馬して、聖なる山の半分の地点まで、行けるのです。
つまり、徒歩で3時間程かかる距離を座ったままの姿勢で、1時間ほど
短縮して、残りの後半の神殿への道のりに体力を備えるというわけです。
時折、日本の江戸時代を思い出させる、籠のような乗り物が
通り過ぎていきます。
それは長い棒の中央に備え付けられた台座に人が座って 前後2名
ずつほどの人夫に、かつがれて、運ばれていきます。
その揺られ方といい 人力で左足、右足、”えっさほいさ” とばかりに、
2脚(足)x 4人の計8脚の長くて細い足が 同じタイミングで、
前後してリズミカルに前に進んでいく姿は、まるで、日本の江戸時代の、
籠(かご)そのもののようでした。(下の写真参照)
私は、サントシを後目に、勢いつけて上ってはいくものの、さすがに、
2時間ほど登ると、疲れが出てきました。
”頂上までの半分の道のりは過ぎた?”とサントシに聞くたび、
”とんでもない”という答え。
とたんに、どっと、その疲れは増して、時折、茶店に腰をかけて、
砂糖キビのジュースなどを飲み、エネルギーを補充しました。
さらに2時間ほど登っていくと、どうやら半分の距離は過ぎた
ようだと気づきました。
空気が変わったからです。
今まで、左右にあった、土産物店がなくなり、ウマや籠に乗る人も
ほとんどみかけなくなり、何よりも、周りの空気が澄んだ静けさの
中に荘厳な迫力も感じられ、いよいよ、あともう少しで、女神の
洞窟寺院に着くのだという実感が湧いてきて、むしろ元気が出てきた
のでした。
周りの景色も当初とは変わってきました。
家々が点在するように小さく見え、周りの険しい、ヒマラヤ山脈に続く、
高い尾根なども見えてきました。
さすがに、体は疲れていたのですが、不思議なものです。
以前にもまして、誰かに後押しされているように 体が前に進むように、
足に弾みがついてきたのです。
(~この体験を多くの人がしているようで、これこそ、女神の祝福の力、
シャクティ―の分け前に預かっている~と感じられ、文字通り、体を
通しての体感といえるようです。)
後半の道中には、2カ所ほどの検問所がありました。
ジャムカシミールは、政局的に不安定な所であり、ゲリラ攻撃の
的になっているという噂もありました。
そのためか、警官の数は山の上に行くほど、増えていきました。
いずれの検問所を通るのにも、長蛇の列です。半時間は並ぶのです。
土曜日だったせいもあるのか、毎年、参拝にくるサントシさえ、
こんなに混んでいる事はなかったと驚くほどの、人人人 の聖なる
山の盛況ぶりでした。
どんな方たちが参拝に、これほどの労苦を要して登ってくるかと
観察してみると、やっと歩き始めた2~3歳の幼児から、腰を曲げて、
杖を突きながら助け合って登ってくる老夫婦がいます。
五体投地をしながら、気が遠くなるほどのゆっくりしたペース
で、一歩歩くたびに、身をひれ伏して女神に祈りを捧げながら登る
行者がいます。
ヒンズー教徒だけではなく、ターバンを巻いたシーク教徒の家族も
います。ジャイナ教の知人もここに来ています。宗教には関わり合いなく、
大勢の人たちをひきつけていることがわかりました。
結婚式を終えたばかりでしょうか?
花嫁姿の若い女性が先方を行く花婿を必死で追いかけるように
息を切らして上っていきます。
数人のグループは’ジェイ マタディ”と、女神をたたえる言葉を
大きな声で合唱しながら 気合を入れてきついのぼり道を進みます
ついに、私たちも最終関門のチェック場所に着きました。
神殿まではあと、半時間登れば着くところにあります。
ここもまた、長蛇の列ができていました。
この関門所のあとは、履いている靴を含め、身に着けている荷物
はすべて、携帯電話や貴重品とともに、ロッカーにしまわなければ
なりません。そのロッカーのカギをもらうために、また、小一時間
並びます。
神殿に詣でるために、長時間の登山は、もちろん疲労感の原因
でしょうが、こうして、随所で待たされ、人込みの中でたちんぼうを
して待っている、労力も半端ではありません。
ロッカーに所持品をしまい、鍵はサントシが持ちました。
すると、それを見ていた、教養のある様子の若者が私にそっと、英語で、
耳打ちしました。
”ロッカーの中から、お金だけは出しておいた方が良いですよ。
その鍵はあなたが持つべきです。彼女に渡してはいけません”。
一瞬この言葉の意味が理解できず戸惑っていると、間髪をいれず、
サントシがその男性に向かって、”今、何を、この婦人に話しかけたの?”
と問いただします。
”いやいや、別に” と、ヒンディー語でその男性はサントシの返答を濁し、
去っていきました。
つまり、このインドでは、特に、こうした場所では’他人は信用するな’
という一般的常識を、この男性は私に思い出させるよう、耳打ちしたの
でした。寺院参拝をしながらも、盗人が多い現実に、苦笑いをせずに
いられない、ヒトこまでした。
さて、これで残る目的地は一つになりました。
やっと、寺院の方向に足を向けて歩き始めることができました。
寺院の中はそれぞれの女神の偶像が置かれている、3っつの部屋があり、
最大の聖なる場所、洞窟の祭壇へと続きます。
この洞窟の中がどうなっているのか いろいろ現地にいったインド人の
友人から話は聞いてました。
’何のことない、~~に過ぎないよ’という知人がいれば、
”洞窟の中のオーラを感じてごらんなさい。特別なそのオーラに満ちた
空気を”とアドヴァイスをしてくれる、霊的な友人もいました。
はっきり申し上げます。
洞窟にいたるまでの、3つの部屋、そこに飾られる、華やかな色彩の
ヒンズー教の偶像には、どうも馴染めません。
このどちらかというと、世俗的な神様のお部屋もまた、長蛇の列
でした。一つの部屋に足を踏み入れたら最後、半時間閉じ込められ
ました。にっちもさっちもいかないほど 人・人・人で足場がないほど
混雑していたため、半時間の間、部屋の入口出口の扉が 人為的に
閉ざされたからでした。
こうして三つの部屋をノロノロと一時間ほどかけて通り抜けた後、
いよいよ、その紀元前の時代から文献にも書かれていたという
女神の力(シャクティ)の凝縮した岩屋の中に入っていく高揚の
時間がついに、きました。
その岩屋の神殿は確かに、特別でした。
ここも長い列で、神殿にたどりつくまでの50メートルほどの距離の
洞窟の中は、人々のたわいのない話の声が反響して、騒音の渦でした。
が、すでに沈黙してこの岩屋のオーラを感じようと身構えていた私には、
聖なる音”オーム”という音が本当に耳元で、聞こえていました。
祭壇の前の道は、まるで、オートメーション工場のベルトコンベアの
上のようです。
人々は次から次へ移動するように警察官から指示されるまま、ダルシャン
(神との対面)が流れ作業の速さで行われているのです。
ダルシャンとは 聖人や神 の姿を拝む行為をいいます。
警察官と神官がたたずむ、そのクライマックスといえる岩屋の奥に
しつらえた、祭壇には4つの女神のシンボル(黒い自然の石)が
祀ってありました。
その前を、ほんの、数秒もないスピードで通り過ぎる間に、信者が
手を合わせ、次の瞬間には帰り道に向かってユーターンを余儀なく
されています。
私自身も、何が何だかよくわからいまま、神官が私に早口で英語で、
その女神たちの説明をしてくれたものの、後ろの人に押されて、瞬きを
5回したかしないかのうちに、女神たちの前を通り過ぎる結果に
なりました。
その後は、再び、ロッカーに入れてある貴重品を受け取って、
帰路にむかいました。
実は私は、まだ、上り途中のある時、サントシにこう宣言していました。
”サントシ、私、デリーに還るまえにもう一回、サリーを着て、
参拝に来るわ。そうしなさいという声が聞こえたのよ”
サントシはそれを聞いても、とりあわず、笑うだけで反応はしません。
”それは、奥さん、頂上について拝んでから、長い山道を下って、
ホテルに戻って、疲れ具合を確認してから、決めた方がよさそうです。”
の一点張りです。
”これまで、一度に二回の参拝をする人は見たことがありません。
ホテルについて、翌日どれだけ足が棒のようにこわばるか、マダムは
知らないから、そんなことが言えるのでしょう。”
確かに、くたびれ果てた足をもとに戻すために、翌日は丸一日、
ゆっくりホテルで休みました。
そして、その夜、彼女に私は再び、言いました。
”もし、あなたが疲れているのなら、休んでいてね。
明日は、私は一人でも、上に行きますから。サリーを着て又いらっしゃい
と確かに、女神の声が 本当に聞こえたのですから。”
すると、サントシは答えました。
”1人で行かせるわけには行きません。私も行きます。”
まさか、二度もダルシャンができるとは思っていなかった~と
嬉しさ半分、大儀さ半分の様子で サントシは翌日の、再度の聖なる
山への一日がかりの登山に付きそうことを決断した様子でした。
途中でサントシが振舞ってくれたコーヒーは 美味しかったです!
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