今回の登り半分は、馬に乗りました 2018.5.16
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こうして、私たちは翌日朝4時半のウェークアップコ‐ルを
レセプションに頼んで、就寝しました。
翌朝、4時きっかりに私は目を覚ましました。身支度を整えて、
今日は早くホテルを出発しようと決めていたのです。
レセプションのプショッタムさんの好意のおかげで、前日に
アイデンティティー保証書(神殿への許可証明書)をホテルから
得ていたので、そのまま、直接 聖なる山へと向かいました。
普段は、このようなサーヴィスをしていないそうなのですが、
プショッタムさんが言うには宿泊中に、二度も参拝するお客様は
初めてなので心が動かされたというのです。
一昨日は長い手間暇をかけて、登山前に当局によって、得た許可証
でしたが、この日は、彼の好意でパソコンからダウンロードして
もらい、かつ、早朝の聖なる山登り口直行のホテルの車さえ、
用意してくれたのには感謝しました。
先回のブログの続きとなる、今日の記事ですが、女神の要望どおり、
サリーを身に着けてのいでたちとなりました
(カメラは持って行けなかったので、出発前にホテルの部屋で)。
今回は、女神自らの導きと招待巡礼登山~これは私の勝手な、
解釈です。しかし、それにふさわしい、巡礼登山だったことは
間違いありません。
登山口に着きました。
朝早かったので、多くの、ウマと御者たちが、登山口で待ち構えて
いました。サリーを着てでは、もう、ウマに乗ることもできません。
実は先回の記事には省いてしまったのですが、一昨日は、頂上参拝
してからの帰宅路が、徒歩で山を下りると深夜12時になりそうだった
ので、馬を調達して降りてきたのでした。
(一昨日、巡礼を終えて、帰り道の楽だったこと。)
おかげで 前回の参拝は、帰宅時間は短縮、夜9時半にホテルに
着くことができました。そして、今日、サリーを着て、登山となると、
最初から、ウマに乗ることは想像していなかったので、徒歩での
道のりを体験したあとでしたので、帰りの道を考えて、4時起きの
早朝出発となったのです。
サリーで馬にまたがるなど、まず、不可能です。
ところが、実際、山の麓についてみると、多くの御者たちが駆け
寄ってきて、ウマに乗らないかと私たちにしつこく、交渉をします。
確かに、昨日、一度、この聖なる山に登ってみて、徒歩3時間の
前半部分は俗なる世間とあまり雰囲気の変わらないこと、参拝道の
両側を埋め尽くした店の賑わいと怒涛と、ウマの行きかう雑踏と
その馬の糞があちこちに落ちている有様で、できれば 頂上までの
半分までの距離は早く通過したいところでもありました。
そこで、決めました。
果敢にも、サリーで馬にまたがり、半分の道のりを登り、残りの3時間
をゆっくりエネルギーを蓄えて登山することにしたのです。
さて、半ばで降りて、徒歩で坂道を登り始めました。
”不思議な”こと。。。その一(いち)。
それは、1昨日には、長蛇の列だったいくつかの検問所にはほとんど
人は並んでいなかったのです。
しかも、女性警察官の身体検査を中で受けるのが常でしたが、検問所
の脇をスルーしても、誰も咎めません。
そばに立っている警官もそんな私たちを横目でみて、見過ごしています。
いくつかの他の検問所も同様でした。
結局、ホテルで用意してくれた、身分証明書や神殿内許可証を一度も
要所で、見せることなく、神殿の中に入れました。
これには、同行したサントシも驚いていました。
チェック無しということはあり得ないというわけです。
一昨日の体験から、どんなに小さな荷物でも、足手まといになること
がわかりました。そこで、今回は、所持品を極力なくしてホテルに
置いていきました。こうして、ロッカーの列も並ばず、靴だけは、
少々危険はありましたが、道端に脱ぎ捨てていきました。
こうして、やすやすと、偶像のイメージのある部屋を、足早に通り抜け、
前回は、ほとんど認識の薄かった岩屋の中の祭壇に直行することが
できました。
不思議な事、その2・・・の出来事です。
サントシが言うのには、この岩屋で、例外中の例外が起こったと
いうのです。私がサリーを着ていても、外国人であることは、周りの
インド人にはわかったようでした。
パンディット(神官)も私の存在に気を留めたようでした。
相変わらず、祭壇のある、岩屋の中にはいると、オートメーションの
ように、次から次に参拝者の頭は 流れるように、横に横にと動いて、
出口に向かいます。そうした(参拝者)の動きは、私が祭壇の前に立つと
急に止まりました。
神官が声を私にかけたことが発端でした。
神官は丁寧に、一つ一つの聖なる石の象徴している女神の名前を右から
順番に説明してくれました。そして、その上にある、ドゥルガ女神の象徴
と由来を簡単に話してくれました。
すでに列の流れが止まって、数分が経過していました。
神官のすぐ隣で警備している警官が、私の肩をたたきながら、’どこから?”
と聞き、日本人だと答えると、”え、日本、それは遠いところから・・
ヒンズー語がわかる?何年インドにいたのですか?”などと嬉しそうに
言葉をかけてきました。
後ろに並んで待っているインド人の参拝者たちの中には、’一体この特別な
待遇を受けている人はどんな人か?”とつぶやきながら、前にいる私の顔を
見にきたと、サントシは言います・
”少なくても3分は、マダムは女神の祭壇の前にいましたよ。
何年も毎年、この山に参拝に来ていますが、こんな待遇は初めてです!
じっくりとお祈りができてうれしい!”とサントシも満足そうでした。
こうして、女神の招待?ともいえる二度目の参拝はつつがなくすみました。
朝6時には山を登り始め、山を下って時間を見ると、午後3時という
スピーディーな参拝となりました。
まさしく、すらすらとすべてが滑らかに、無駄なく、エネルギーの消耗は
最小で済んだ、”女神の招待”してくださった、参拝でした。
帰り道、気が付くと、山の頂上付近にヘリコプターが降りれる場所が
しつらえてありました。
その付近には看板があり、片道の乗車賃、往復ならいくら、また、予約
するための電話番号などが記されていました。
財政的に余裕ある人たちや体の悪い人たちなどは、ジャムカシミールの
飛行場までインド各地から飛行機で来て、続けて、ヘリコプターを
利用して山頂付近まで簡単にたどり着くこの方法を選んでいるようです。
これでは功徳はないような気もするのですが、参拝しようと思う
心が一番大切なのでしょう。
こうして、二度目のダルシャンを済ませてデリーへの帰途にくたびれ
果てることなく向かうことができたのでした。
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