自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

花祭りと観音経:観音様は実在人物?

2017年04月10日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 

観音様(西王母)は神代の日本で天成道(

あまなるみち)を学んだ・・・ 2017.4.10

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亡き父は毎朝 仏壇に手を合わせ、

般若心経と、時々、長い、

観音経を挙げていた。この記事を書いた、

4月8日は花祭り、

甘茶を像にかけて仏様の誕生を祝う日だ。、

父が葬られている霊園の寺に出かけた。   

          

桜の花びらが舞う中、久しぶりに、

お焼香の間、僧侶が唱える

観音経を拝聴できた。亡き父も私と

ともに、この場にいるのだろうなあ

と何となく無姿の存在を感じながら、

父の在りし日を思い浮かべた。

 

さて、観音様とは どなたをさすのか?

というのが今日のお話。

仏教では、観音経はすでに5~6世紀

には中国に伝わっている。 

菩薩様のおひとりとみて良いと

いうのが大方の学者の一致する意見だが、

私の少し異なる意見を皆様に聞いて

いただきたい。

 

まず、観音様という方が実在か、

あるいは、他の仏教の菩薩様や

如来さまのように、擬人化された

仏様の一つかという点だ。

以前 拙ブログで観音様が太古、

日本に海を渡り中国から来られ、

”天成神道”(*注1)を勉強に来た

というお話を書かせていただいた。

 

時は、アマテラス大神がまだ、

大叔父の玉杵尊(たまきねのみこと)

に師事して、まつりごとの道を

勉強されていた次代にさかのぼる。

アマテラス大神は、ふじの宮の

御殿で生まれ、その後 大叔父の

玉杵尊の住む仙台で勉強されて

いたとホツマツタエにはある。

 

仙台は、現在の宮城県。 

みやぎ(けん)と呼んでいるが 

漢字字体は、宮城(きゅうじょう)

と書く。 つまり、ここには、

神代の昔、アマテラス大神の父上、

イザナギ尊の叔父上にあたる、

玉杵(たまきね)尊が住んでいらっしゃる

宮城があった場所だ。 

 

さて、アマテラス大神の学んだ

天成神道を 外国から留学にきて

勉強された方がいらした。

それは、当時 ”カ(ka)” と呼ばれる 

中国(現代の)にある、

”くろづみこく”国王の姫であった。

 

秀真伝えでは 以上のことは次のよう

に書かれている;

 

“其の中の一子は玄圃積国(くろずみこく)

を治めしむ。

玄圃積国は元「力国」に当る故(ゆえ)

赤県神洲と名付けり。”

 

此の時承(うけ)洲壹(すて)王(きみ)の

女(むすめ)は海を渡りて、

我が国の白山根(しらやまねの)国(くに)

に来たりて玉杵尊に良く仕えたり。

 

東王(ひがしのきみ)は感じ給いて 

菊桐(ここり)姫(ひめ)の妹と為して、

神仙の秘法(注2)を授(さづ)けます。”

 

菊桐(ここり)姫(ひめ)とは、イザナギ尊

(アマテラス大神の父上)の姉君である。

その妹分として カの国の王女を、玉杵尊は

受け入れ、教育を与えたとある。

 

当時、中国は カの国 と呼ばれていた。 

(今、中華(か)国と、中国を呼ぶその

”華”は そこから来ているのかもしれない。)

 

さらに、この方が、いわゆる後世、

観音様としてのモデルになっている

と言う。ではなぜ、この承(うけ)洲壹(すて)

王(きみ)の女(むすめ)が 観音様

と言えるのかといえば、次の下りから

察するのである。

 

 王女は 天成神道の教えを受け 

嬉々として、帰国するが、

結婚して、国を統治する身になり、

天成神道に従い、収めんとするが、

思うようにいかず、自国の現状を憂い、

再び、日本に来て、アマテラス大神に

次のように嘆く。

 

秀真伝意訳では次のように描写される。

 

“喜び帰る承洲壹王(うけすてきみ)の女は、

後に崑崙(こんろん)王(きみ)に嫁(か)して

一子を生み、玄圃(くろその)積王(つみ)と

名付くなり。

 

其の後、西王母は再び海を渡りて来朝し、

歎(なげ)きて曰く、

「我が崑崙(こんろん)山本(やまと)

国(くに)の人々は、天成道

教えんとすれども遇(おろ)かにして、

獣肉を嗜(たしな)み

過半の民は穢食に堕(お)ちて、

万民は日夜殀殕(はやかれ)するなり。

 

故に百歳や二百歳の寿命に短縮し、

稀には千歳・万歳の寿命を得る

者あるも、平均千歳を保たず。

西王母はこれを歎(なげ)きて警(いまし)

むるも、日々肉(しし)を食(く)いて止まず、

然れども支那(しな)王(ぎみ)

と云う者在りて、千代見草の如きものを

尋ね求むと云えり。

 

朕が心身もこの愁(うれい)話(ばなし)

を聴くも耳(みみ)垢(あか)つきて

穢れたり。よって潮(うしお)に

洗い滌(すす)ぎて禊(みそぎ)をなすなり。

 

寿(ことぶき)を観(み)て歓(よろこ)ぶ

も天道にして、また殀(かる)を

聴(き)きて、哭くも地(つち)の理

(ことわり)なり。“

 

西王母 とは 今では、観音様の

別名として使われている。

ホツマツタエには、

承(うけ)洲壹(すて)王(きみ)の

女(むすめ)は 

日本から帰り、嫁いで西王母

呼ばれたことがこうして記されている。 

 

この節の現代訳は、

 “中国の崑崙山のふもとにある、

カの国の国民は 

玉杵尊から伝授された

天成道(あまなるみち)を教えたが、

獣肉を好み、そうした穢れ多い

食生活がもとで天命をまたず 

寿命に満たず、死んでいくもの

が多いと 天照神に嘆く。“

 

という内容だ。 

ちなみに 千代見草とは 富士山に

生えていた薬草で

アマテラス大神が好んで召しあがった。

 

有名な史記には 

“秦の始皇帝は斉国の人、

徐市(じょえつ)に命じて

東海の三神山に不死の薬草を

取りに行かせた”と ある。

 

不二山(ふじさん)は、不死(ふし)

の山でもあった。

不二の山に生えていた、始皇帝のいう

不死の薬草こそ、”不二見草” ではないか

という学者もいる。

 

本論に戻ると、西王母が観音様

呼ばれる由来は 道教の中にある。 

たとえば上記ホツマツタエの中に

ある、中国の崑崙山(こんろんざん)

から来た王女とあるが、道教の

“抱朴子”の 仙薬篇に 次のような 

文章が出てくる。

 

“金を服用するものは齢(よわい)

金のごとく、玉を服用するものは 

齢、玉のごとし”

 

“玉とは崑崙山脈から多く産出され、

玉のように美しい仙人の

西王母はこの山に住んでいた”とある。

 

西王母 と縁ある 桃源郷(とうげんきょう)

と呼ばれる理想郷が 実際、中国にあるが、

ホツマツタエには 二度目の訪日の際、

その土産として、不思議な桃(もも)

の木を西王母に与えられたとある。

 

この桃木が成木して繁樹して、

桃源郷になったのではないか。。。

これだけでは まだ仏教の観音経と、

ホツマツタエに出てくる、西王母の

関係性がしっくりこないかもしれない。

次回に少し話を残して、続きを

書かせていただきたい。 ^~ 4/15日に続く

 

 *注1) 

天成神道 とは、あまなる道 

とも呼ぶ。ホツマツタエの中で、

スメラ尊(みこと)が天の意

に沿ったまつりごとを行うため、

また、人民が人間として

いかに生きるためのモラル

や実生活(衣食住)

の法を説いた教えとして

全編(綾)を通じ、

一貫して説かれる。

のちの日本人特有の大和心

につながる超古代日本人の哲学観でもある。

*注2) 

神仙の秘宝 とはここでは

具体的には述べられていないが、

観音様を仰ぐ道教では 

神仙の教えは、タオイズムの中核の一つと

なっている(次回4/15のブログ参考)

 

 騎龍観音

 画像;イラストAC

 

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