自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

イランの旅(1)百聞は一見に如かず

2018年01月10日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

”私たちは、ステレオタイプの生活を当たり前に送っている?・・・”

*************************** 2018・1・10

 昨年12月 ほぼひと月前、私はイランへの小旅行をしました。 

ここで体験して感じたことをご報告したいと思います。

 ゾロアスター聖地の寺院で古式にのっとって祈るドライヴァーさん

 

イランから帰国して、数時間後、大切な知人の1人に充てた

メールが以下だ。

 

”数時間前、イランからインドに戻りました

 感慨深い旅でした。 

ゾロアスター教の聖地、2500メートルにある岩屋に、

教徒であるドライヴァーとモスリムの通訳ガイドと出かけました。 

 

イランの地で最も古いこの信仰にドライヴァーは尊敬を示し、

ドライヴァーが祈りを捧げているそばで、ともに、異教の聖地で

祈る姿が印象的でした。

 

インドでは、一般のムスリムは観光客をヒンズーの聖地を

案内しても、寺院でともに祈る事は考えられません。

 

この私の頭にかかった火は、寺院ができてから数百年間 絶やしたことのない聖火です。

 

シーク教徒も然りで、ヒンズー寺院に足を踏み入れる事は一生涯まず、

ないでしょう。

そういう環境の中にいた私にとって、イランの国の平和な静かな

雰囲気に感銘をうけたと同時に 一般の人々のこうした、宗教への

慣用性、しかも、モスリム教の国でありながらという点で、再び 

スピリチュアリティーという言葉を考えさせられました。  

 

ホテルで朝食のテーブルをともにした30代の一人旅のモスリムの

女性が、インドの話題になったとき、ヒンズー教のマントラを

口ずさみ、ヨガの講師の資格をとり、モスリムたちにヨガを教えて

いるという話を聴いたときは、正直、嬉しい驚きでした。 

 

その彼女と・・・

 

ヨガはヴェーダのセオリーを理解することでより深いものになる

事を彼女は知っていました。 

そして、すべての宗教はそれとして、認め、スピリチュアリティー

を深めるためには、ヨガを選んだという、てらいのない、彼女の

意見に、さらに驚かされました。

 

モスリムであることと、ヒンズー教の奥義を学ぶ事は矛盾しない

という態度でした。この彼女の意見に私は勇気を得ました。

シーア派のモスリム国の中で、こうした意見は特別かと思いました

が、自分と出会ったイラン人たちはスピリチュアルという観点で、

独特の慣用性を持っている様に感じられました。 

 

彼女が教えるヨガのモスリムの生徒たちには、ヒンズー教の奥義

までは話していないが、しかし、自分はそれをスピリチュアリズム

としてとらえ、もっと深めていきたいという彼女の態度にも共感

覚えました。

 

私【須田】と同波長であると 初めて挨拶を交わしたとき感じた

そうです。宇宙の意思で 同波長の人同士はどんなに遠く離れて

いても、必ず、出会うと、信じているそうです。

神の意思 という言葉の代わりに 宇宙の意思という言葉を使って

いるのも興味深く思いました。

 

30代の旅行会社の社長の女性に、これに関する質問をすると、

”宗教に生きているのではなく、宗教は人間として、より良い

人間となるため必要なのだから、イスラム教だけに固執はしない。

 

自分はその人が何教を信じているかではなく、その人の人間性

の深さが大切だと思う” と自然体で話す姿は、爽やかでした。

 

他にも、イスラム教徒のガイドはアルメニアン人たちのカトリック

の教会へ案内してくれましたが、モスク建築様式が見られ、

キリストの受難の絵柄の下には、ペルシャ調のモスクに施されて

るペイントが描かれ文化が双方溶け合っているようで 印象

でした。

今回の旅は 百聞は一見にしかず の意味を納得するもの

でした。

自分の目でみて聞いて、肌で感じる、心を動かされる、そうした

要素は、本や他者の意見に左右されるべきものではないことを

実感しました。

そして、世界は、ある種のプロパガンダの力で本当のことを

ゆがめて世界中の人たちに印象づけることが可能だということも。。。

 

何故なら、イランは最も恐るべきテロリストが存在すると、

アメリカのマスコミでは伝えていますが、あの国ほど、平和な

オーラを持つ国は、今まで訪れた、30カ国近い国々でなかった

からです

 

個人的で新鮮な感動でしたが共有してくださるかと思い、一筆

いたしました。読み流していただければ幸いです。”

と、知り合いにイランへ行った折の感想をメールで送った。

そして、その方からのお返事に次の言葉が印象に残った。

 

”私たちはとても狭いところで、それもステレオタイプ的に

物事を判断し、生き方さえ狭めているのではないかと、

須田さんのメールを読んで思いました。”

 

 イランの古代都市 イスファハーンの風景

 

 

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