自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ホツマツタヱ 6綾

2021年11月30日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

日の神12后(きさき)の綾                  2021/11/30

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今日は天照大神の妻たちのお話です。

120万7618年(*1)の5月1日、

天照大神は、玉杵尊(たまきねのみこと)

がお住まいになる、日高見

(東北地方にある)ヤマテの宮より、

天成神道を学び終え、原見山(富士山)

の山麓にある新宮に戻られました。

 

ご両親の伊弉諾・伊弉冉尊

(イザナギ・イザナミのみこと)は、

12人の御后(おきさき)を決められ

ました。

東西南北の4つの局(つぼね)に

それぞれ、3人の后を置きました。

持子を北の典侍(すけ)、

妹の早子を内侍(うちめ)、

曽賀姫を御下(おしも)というように、

それぞれの局に三人の后を置いたのです。

 

天照大神の御所のある日の山の

名前を大日山、略して大山と名付け、

宮殿は、大日本日高見の安国の宮

(おおやまとひだかみのやすくにのみや)

と称えました。

東西南北の4つの局(つぼね)に

います、12后は、交替で天照大神に

お仕えしてましたが、その中で特に

素直で美しい、南の典侍の瀬織津姫

(せおりつひめ)に大神は強く心

を惹かれ、内つ宮(中宮)に

抜擢されました。

 

天照大神の弟君の月読尊

(つきよみのみこと)は、

大神のそばで政(まつりごと)

を補佐していました。 

大神は、月読尊を伊予(愛媛県)

の二名島で反逆者が出たので、

鎮圧に送りました。

また、細矛千足の国

(さほこちたるのくに)(*2)

では益人(ますひと)という

職位にある胡久美(こくみ)が

政務を怠り、国が乱れてきていました。

 

そこで、豊受神らとともに、

細矛千足の国を治めるため、宮津

(京都府、宮津市)にある宮に

とどまり、そこで政務を行われました。

月隅(九州)は宗像命

(むなかたのみこと)が補佐し

収めました。

このように、天照大神の御世は、

国も平穏でありましたが、8万年

経た129万301年に、祖父の豊受神

おられる、宮津の宮より、

大神のもとに使者が遣わされました。

 

豊受神が、お隠れに(お亡くなりに)

なる御覚悟を伝えにきたのでした。

そこで、天照大神は、急いで

眞名井に行幸され、出迎えた

豊受神は、大神に、

"昔、汝に日高見の宮で、道奥(天成神道)

の教えで言い残したことがあったので、

待っていたのだ”

といわれ、最期の教えを天照大神に

伝えたのでした。

 

’君は幾代の御親なり” という

一言でした。

’天日尊よ、幾世にもあなたは、

臣や民にとって、御親の存在で

あるのだ”(*3)

といわれ、無視無欲の親心で民を治め、

民は親に対する孝礼を忘れることなく、

祖神として使えよという、

豊受神の遺言を残され、そのまま、

洞(*4)の入り口を閉ざして、

お隠れになりました。

 

天照大神は、その洞(ほこら)

の上に朝日の宮を建立されて、

豊受神の御霊をお祀りされました。

鎮魂の儀式が終わると、天照大神

はご自身の御宮のある、原見山

にお戻りになろうとされたの

ですが、群衆が大神の鳳車を

囲み、大神に、まだこの地を

離れずに、政事を続けていただきたい

と乞い願うので崩御された豊受神

の代わりに、しばらく細矛千足の

国(さほこちたるのくに)を

見守るために、留まることに

なさいました。

 

宮中でも、豊受神のお隠れに

際して、いろいろな動きが

ございました。

内宮の、瀬織津姫は、日高見の

国を守る、豊受神のご子息に訃報を

伝え、その地に豊受神を祀らせました。

 

また北の局の、持子、早子、味子姫

の三名を眞名井の原に向かわせて、

豊受神の御霊を弔いました。

そして、天照大神は、三人の北の局

の后たちを、眞名井の原に残し、

ご自身は、弟の素戔嗚尊

(すさのおのみこと)と、

天道根命(あまのみちねのみこと)

と共に、原見山へとご出発されました。

 

ひと月かけて、4月15日に、原見山

の安国宮にご到着されると、

天照大神は次のお仕事に着手し

始められました。

日速彦命(ひのはやひこのみこと)(*5)

をお呼びになり、国中を津々浦々

周り、国の絵を作るように

命じられました。

その出来上がった絵図をご覧に

なり、国の中央に都を移そうと

決意され、思兼命(おもいかねの

みこと)に伊勢の伊雑(いざわ)に

伊雑の宮を造営させたのでした。

 

こうして、原見山から伊勢へと、

遷都されたのでした。

この新しいお宮で、中宮の

瀬織津姫は御子を御生みに

なられました。

忍穂井の産屋の耳(隅)で

お生まれになったので、お名前

が忍穂耳尊(おしほみみのみこと)

なりました。

 

ほかにも天照大神の御子は、

北の局の持子が御生みになった、

穂日尊(ほひのみこと)。

そして姫君は、早子が眞名井

で御生みになられた、

三つ子の姫君たちがおられます。

沖津島・竹子、江の島・瀧子、

市杵島(いちきしま)田奈子の

三女です(*6)

 

ほかの局の后たちも御子を御生み

になられたので、天照大神の御子

たちは、5男3女でございました。

 

さて、話の舞台は、熊野に変わります。

天照大神の母上の、伊弉冉尊

(いざなみのみこと)の御霊を

祀るために、熊野にその社を作り

熊野神という名称で、お祀り

されました。

そのとき、鳥たちが群れて

集まってきて、色が黒い鳥

だったので醜女(しこめ)

(*7)にちなんで、

’魂のしいを枯らす鳥’、と

いう意味で、カラスと名付けられ

ました。

 

その後、天照大神の父上の、

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)も、

淡路の宮(兵庫県津名郡一宮町多賀)

にて、お隠れ(逝去)になりました。

 

 

*1)ウビチニ尊の御世から数える。

*2)- 山陰地方 

*3)-伊勢神宮の内宮と下宮には、豊受神と天照大神が祀られ、古来より、

最高の神社として祀られている所以といえるだろう。

*4)-眞名井が原の洞窟をさす 

*5)-武ミカヅチ命

*6)-それぞれ、現在では、弁天様のお姿で、竹子姫は、琵琶湖の島に

瀧子姫は、江の島に、田奈子姫は広島の厳島神社に祀られています。

*7)-5綾参照。夫イザナギの尊が、妻のイザナミ尊の亡骸を

こっそり見に行ったその帰り、醜女たちが現れて、イザナギ尊を追い払おう

と追いかけてきた。

 

上段が秀真文字

下段がその現代語表記

 

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